週刊現代は

日本での核発電に否定的です。


ですので、

核発電施設(原発)の再稼働には

反対の立場と理解しています。


その週刊現代ですら、

残念な表現を用いていましたので、

ご報告致します。




飯田哲也さんと金子勝さんの対談形式の

記事でしたが、その中で

飯田さんの言葉として下記のように書かれていました。



大飯原発(福井県)の再稼働問題についても、メチャクチャな論議が通っています。あの斑目春樹原子力安全委員長ですら「これじゃ安全性が担保できない」と言っているのに、野田佳彦首相、枝野幸男経産相、細野豪志原発担当相、藤村修官房長官の4大臣が、「安全を確認した」と称して再稼働をしようとした。


問題は

「安全を確認した」と称して再稼働しようとした。
という文節です。


これは大問題です。

2点指摘します。


『称して』→『断定して』

『再稼働しようとした』→『再稼働しようとしている』




飯田哲也さんが記事の通り発言したのか

もしくは

週刊現代の編集者が言い回しを変えたのかは、

分かりません。




私たち国民は

メディアに流されてはいけない、ということを

東日本大震災から学びました。


繰り返しますが、

大飯原発の再稼働問題に関しまして、

政府は『おおよそ安全確認できた』と断定し

大飯町や福井県に対して『再稼働を許可して下さい』

今現在も言っているのです。




この点に関して、

どっちでもいいじゃん、とお思いの方に

重ねてお願い致します。


既に政府の立場は、はっきり表明されています。

表明されていた、ではなく、表明されている、のです。

それに対して、

私たち国民は

賛成 or 反対 の単純な立場をハッキリさせる必要があります。


うやむやはイケません。


国民が判断を保留するのであれば、

政府は『暗黙の了解』と受け取るでしょう。


ですから、

橋下徹大阪市長は

『国民はだまされるな』

と表明したのです。

http://ameblo.jp/denryokutokaku/entry-11232305419.html

↑過去記事で取り上げておきました。




倒閣という言葉があります。

内閣(現政府)を倒すという意味だと理解しています。


4/26

小沢裁判の判決と同日、

地元での説明会は終了しています。


あとは、

地元首長がOKと言うだけです。


核発電施設の再稼働についての

政府の態度は、すでに『倒閣』するに値します。




速やかな内閣総辞職→解散総選挙を望みます。




蛇足ですが、

私の核発電に関する見解を述べます。


日本は現在のところ、電力の基となる資源が

国土からあまり出てこない状況です。


ですので、

電力の基となる資源の安定確保の面からも

核発電を継続するべきです。


ただし、

下記の、三つの条件を早急に整えなければなりません。

1. 対自然安全性の向上

2. 対武力安全性の向上

3. 原子力災害に強い社会の構築


大阪府市統合本部の8条件には賛成です。

私の記憶ですと、

最終処分の道筋が見えていることも

条件に加えていたと思います。

http://ameblo.jp/denryokutokaku/entry-11219425368.html

↑過去記事参照


滋賀・京都の7項目については

とても不十分です。


電力と核発電所と放射性物質について考える。

ただ、

大阪も、京都・滋賀も、

対武力の脆弱性補強について、

述べられていないのは残念です。


私も、

相当の努力を伴わない限り、

日本で核発電が再開されることは無いと考えます。

また

努力なしに、

なんとなく再開してしまって良いものとは考えておりません。


その『相当の努力』を

国に対して求める者の一人であることを

自身の立場として、表明させて頂きます。

橋下大阪市長も

『だまされるな』と言いました。


4/15日のこのブログで

私も指摘した通り、

国民は

騙されてはいけないと思います。


すでに

日本国政府は

大飯の『安全宣言』をしたのです。

地元がどうとか

地元の範囲はなんちゃらとか

そんなことは二次的な問題です。


問題の根幹は

日本国政府が現状で

『安全宣言』をしたことを

国民が『許諾』したかどうかです。


わたしは国民の一人として

前の記事で

野田内閣の退陣を求めました。


みなさんはどう考えますか?


橋下市長「国民はだまされるな」…大飯安全宣言

24日、原子力発電所の安全性に関する8提案を政府に申し入れた橋下徹大阪市長は、関西電力大飯原発(福井県おおい町)の再稼働方針を巡り、藤村官房長官に対し、政権批判を繰り広げた。

 藤村長官との会談は午前10時45分から官邸で始まった。冒頭、橋下市長が「時間をいただき、感謝している」と切り出して和やかな雰囲気だったが、報道陣が退出した後、一転した。

 出席者によると、橋下市長が「(科学的知見がないまま)政権が安全宣言をしたことは絶対におかしい」と強い調子で懸念を伝えた。藤村長官は「ストレステスト(耐性検査)の1次評価を含めて、再稼働を進めていく」と、政府方針を堅持することを説明したという。10分間の会談予定は25分間に延びたが、両者の溝は埋まらなかった。

 橋下氏は終了後、報道陣に、「政権は安全と言うが、科学者は言っていない」「政権の安全宣言に国民はだまされるな」と、政府の対応をやり玉にあげた。


日本国の大飯原発に関する判断は

■安全性が確認された

■必要性も確認された

つまり、再稼働させて問題無い

というご判断です。


この判断を出したことを持ちまして、

私は、野田内閣の退陣を求めます。




報道に惑わされないでください。

日本国政府は、

安全性の確認を行った、と言っているのです。


これが、日本国政府のご判断です。


報道は、

大飯町や福井県や周辺府県の知事のコメントなど

多角的な報道をしていますが、

日本国の国家としてのスタンスは

すでに表明されているのです。


私は改めて言いますが、

核発電施設(原発)の再稼働には賛成です。

ただし、今の段階では

福島第一の事故から

学ぶべきことを学び切れていない、

という理由から、

再稼働には反対です。


では、

どうしたら再稼働できるのか?


答えは以前の記事に書いた、

三つの視点から検証されてるべきです。


1.対自然安全性の向上(災害につよい核発電)

2.対暴力安全性の向上(武力につよい核発電)

3.万が一の備え(放射性物質拡散につよい社会)


上記が、必要な観点だと思います。


1.の対自然安全性について、地震想定に大きな問題があります。

 760ガルを想定してるそうですが、

 想定がとても甘いと言わざるを得ません。

 (参考:http://www.jca.apc.org/mihama/fukushima/rendou_hihan20120401.pdf

 また、万が一の場合の海水ポンプなどは装備されていますが、

 取水口は1箇所しか想定されていませんので、

 ここが津波や地震により大きな損傷を受けた場合、

 若しくは津波が大量のガレキを運んで来て使えなくなった場合、

 実質的に、炉心を冷やせなくなります。


2.3.については

ほとんど福島第一に学んでいません。

(福島第一の場合、武力よる脅威はほとんどありませんでしたが

 自衛隊員24万人中10万人が災害救済に当たったいた際に

 ロシアと中国から再三の領海侵犯を受けています)




例えば、

京都・滋賀県知事が指摘してる通り、

免震棟は無いです。

免震棟は

事故の現場と政府との意思疎通の為の設備でもあります。

情報の伝達は衛星携帯電話19台のみの

頼りない状況となることを想定しているようで、

それをもって安全性が確保された、

と言っている日本国政府の常識を疑います。




長くなってしまいましたが、

この記事では二つのことを言いたかったのです。


■1 日本国政府の立場は既にハッキリしていますので

   この段階でご自身の見解をハッキリさせていない国民は

   暗黙の内に、再稼働賛成とみなされます。

   見解をハッキリさせていない方は、

   政府が間違った判断をした場合も

   それを指摘する事が出来ない点が問題です。

   私の記事に共感して下さる方は、
   少なくとも現時点での再稼働がいかに危険か

   それをご存知と思いますので、

   しっかりと、日本国政府を批判して頂きたいです。


■2 報道の姿勢は、1の日本国政府の立場を検証するものではなく、

   また、日本国政府の見解が固まった事実を伝えるものでもなく、

   「どうしたらいいのでしょうねぇ」と

   まるで井戸端会議のような内容を表明しているにすぎません。

   私の記事よりも報道機関の報道に共感される方、

   その方々こそ、

   暗黙の内に再稼働賛成と見なされる方々です。

   報道はそういったワナを仕掛けておりますので

   どうか、ワナにハマらない様にお気を付け下さい。


最後に、私個人が

福島第一原子力発電所の事故から

「学びたい」と思う事は、

こういった判断を私自身が下し、

時には、国家を批判する事も国民の務めだ、

と言うことです。


政治は政治家にするものではありません。



事故以前の私は、

どちらかというと

「お任せ」していた国民の一人でした。

(反省)