(2025/1/17)

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 「カップル」(2003)。大きな銀色の彫刻が天井から下がっている。螺旋を体に巻き付けた二人。等身大より大きいうえに螺旋を頭のかなり上までかぶっているので、見上げるほど大きい。(高さ3.6m)。お尻は見えるが男女差が分かる部分は見えないようになっている。螺旋の凸凹がうまくかみあって上半身は触れていないが、お腹のあたりでお互いの手が支えあってつながっている。
 螺旋で覆われて足だけ出ている人がぶらさがっている、という形は布の彫刻としてブルジョワ作品によく出てくるモチーフだ
が、ここではそれがカップルになっている。


 


 「どうしてそんなに遠くまで逃げたの」(1999)。ガラスケースの中、顔が一つ、横になって置かれている。まだらな布でできた顔は倒れて、舌を出している。まだらな肌が病気の顔のように見える。


 「拒絶」(2001)。口を開けて、何かに抗議しているように見える。大きな作品ではないが、ガラスケースに入ると特別なものに見える。

 

 ブルジョワの面白い作品はほとんど、90年代以降の作品だ。自分の思い出に由来する布を使い始めてから面白い作品が多くなった。(60年代の彫刻とか、正直つまらないのが多い)。80歳そして90歳を過ぎて、衰えるどころかパワーアップして面白い作品を作り続けたのはすごい。



 「Fillette (Sweeter Version)」(1968-99)
 1960年代以降は人体の一部を思わせるような、有機的な形の彫刻が多い。

 Filleteは白い樹脂が表面に付いていて独特の質感がある。吊り下げられて展示される。形は明らかに男性器なのだが、Fillete(フランス語で「女の子」)というタイトルが付いている。



 「シュレッダー」(1983)。大きな車輪のようなものが置かれ、その前に足だけの人形が地面に寝ている。今にも車輪にひかれようとしているかのようだ。大きな車輪と、その前では無力な小さな体、緊張感がある。

 


 「意識と無意識」(2008)。二つの要素からなる彫刻がガラスケースに入っている。
 水滴(涙)のような形の青いものが棒から下がり、その体には縫い針が付いてそれが糸巻きからつながっている。この形式(水滴のような形に糸巻きからつながった針が突き刺さる)は、ブルジョワの幼年期にまつわる要素を集めた「Red room(child)」(1994)にも出てくるもので、両親のタペストリー工房を参照する。本展覧会で見た「心臓」では、同様に糸巻きからつながった針が赤い心臓に突き刺さっていた。この水滴のようなものも心臓・ブルジョワの心を表すのかもしれない。
 もう一方は、縫ったものが積みあがった細長いもの。この形の作品も2000年代にいくつか作られている。上に行くにつれて少しずつ大きくなりながら、同じ形が積みあがっている。秩序と繰り返しがある。(ブルジョワが美術の前に数学を学んでいたのと関係あるかもしれない)。タイトルからするとこれが意識を表す。水滴に針が刺さったものが無意識だ。

 97歳の時の作品で、ブルジョワの最後の大作4点シリーズの一つ。シリーズの4点はいずれも、大きな木枠ケースに涙型彫刻と、それぞれ異なる彫刻の組み合わせが収まっている。

 


 「トピアリーIV」(1999)(Topiary IV)
 小さめだが美しい作品。女性の顔と腕が木に変わっていて、青い実がなっている。シースルーのワンピースの下は女性の身体になっているのが分かる。片足はなく、腕の代わりの枝が松葉づえを持っている。
 松葉杖のあたりで枝が折れそうになっていて、しかしそこから若い枝が生えてきている。若い枝には黒い実だけがなっている。
 トピアリーとは西洋の庭園によくある、常緑樹や低木を刈り込んで動物などの形を作ったもののこと。

 

 予想以上に面白くて満足だったが、最後、大がかりな作品がもう少しあればよかったのにとやや物足りなさを感じた。