Louise Bourgeouis(ルイーズ・ブルジョワ)(1911-2010)

 1911年にフランスに生まれる。1938年に結婚してニューヨークに移る。1940年代から美術家として活躍するが、男性作家ほどの評価が得られない時期が続いたが、1982年、70歳のときニューヨーク近代美術館で回顧展が開かれ、評価を大きく上げることになる。2010年に98歳で亡くなるまで作品を作り続けた。

 森美術館で今年2024年にルイーズ・ブルジョワ展が開かれるということで楽しみにしている。

 ブルジョワの最も有名な作品は巨大な蜘蛛の彫刻「ママン」。六本木ヒルズにもあり見慣れている。(ブルジョワの最高落札価格は このクモの彫刻のシリーズで、45億円というのがある)。
 自分はブルジョワの作品を今までちょこちょこ見たことがあるが、1940~70年代の彫刻やドローイングは、そんなに面白いとは思わない。しかし70歳を過ぎたくらいから面白い作品が増える。特に80歳近くなって始めた「Cells」は大作が多く、面白い。

 Cellsは古いドアや金網で囲った一つの部屋という形をとった作品であり、その中に彫刻やファウンドオブジェクトを配している。
 Cellsは1989年から始まったシリーズである。普通なら歳を取ったら作品が小さくなりそうだが、ブルジョワは80歳近くなって作品が大型化し、90代後半まで大作を作り続けた。(亡くなるまでに60点のCellを作った)

 ブルジョワは1980年にマンハッタンの小さな自宅スタジオから、ブルックリンの大規模なスタジオに移った。これが大作を生み出すきっかけとなった。
 「Cells」は自分の痛み、記憶、不安、見捨てられることへの恐怖を扱った作品である。ブルジョワの言葉によれば肉体的・感情的・心理的・精神的・知的な痛みなど様々な痛みを表す。また、覗き見の快感、見たり見られたりすることのスリルを扱っているという。
 「Cell」という言葉には、刑務所の独房のように密閉された部屋と、体の細胞のように、植物や動物の生命の最も基本的な要素という、2つの意味がある。

 他の作品もそうだが「Cells」は特に自伝的なものであり、ブルジョワの子供時代を回想している。


●「Cell(eyes and mirrors)」(セル(目と鏡))(1989-93)

 自分は2001年にテートモダン(ロンドン)で この作品を見た。

 ブルジョワが1989年に制作を開始した、最初のセルの一つである。初期のCellは、古いドア、窓、金網、ガラスなどの回収された建築材料と、作られたものや拾い集めたものを組み合わせている。
 鉄の網で覆われた立方体のセルの中央に、大きな石の塊がある。石の塊には、磨かれた黒い大理石の眼球2つからなる大きな一対の目が付いている。セルの中には大小の鏡が置かれている。金網の天井では、大きな丸い鏡がヒンジ付きの円形パネルに取り付けられている。たくさんの鏡に、黒い目の彫刻が複雑に写る。

 独房の中にとらえられた人物、重い体を持ち、目ばかりが大きい。これが、子供時代の、両親とともに暮らす家にいるブルジョワを表すのだろう。ひどい閉塞感。



●「Red Room (Child)」(1994)、「Red Room (Parents)」(1994)


 Red Room (Child)では、古いドアを円形に組み合わせて作った部屋を、PRIVATEと書かれた一つのドアの窓から覗く。部屋の中には、赤いものが多数置かれている。ここにはブルジョワの幼年期にまつわる要素が収められる。赤い糸を巻き付けた紡錘が多数置かれているが、これは子供時代に両親が経営していたタペストリーの工房を参照する。赤い糸に混じって青い糸もいくつかある。大人の手の上に置かれた子供の手の彫刻(これも赤い)がいくつも置かれている。親に守ってもらいたかったという願望を表すという。ほかにチューブを螺旋状に巻き付けたような形の赤い彫刻、動物の頭の立体など、謎めいたものが置かれている。

 ブルジョワにとって赤い色は、血、暴力、危険、悪意などを表す。

 Red Room (Parents)には部屋の真ん中にベッドが置かれ、赤い板と二つの赤い枕が置かれている。
 ベッドの両脇には布をかぶった人物をかたどった2つの彫刻。ベッドの上には木琴ケースとおもちゃの赤い列車が置いてあり、子供の存在を主張する。2つの赤い枕の間には白い枕に「Je t'aime」の刺繍がある。両親に愛されたかった子供を表すのだろうか。

 ブルジョワが子供の頃、彼女に英語を教える住み込みの家庭教師セイディがいたが、実は父の愛人だった。受動的な母は黙認した。ほかにも、父は客人たちの前でわざとルイーズが恥ずかしがるような卑猥なジョークを言うなどして苦しめた。父の不実とそれを黙認する母の態度が、ルイーズに痛みを引き起こした。母は長く闘病し、ブルジョワが22歳の時に亡くなった。
 子供時代の体験がよほどトラウマになったようで、作品には幼少期のモチーフが繰り返し現れることになる。それにしても80歳を過ぎても幼少期の痛みを作品に込めているというのはすごい。

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https://macm.org/en/collections/oeuvre/the-red-room-child/


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●Cell Ⅶ (1998)

 古い木製のドアを組み合わせて作られた狭い部屋。ドアの中には家具やアイテムが展示され、白い服や下着がドアにかかっている。
 部屋の中に置かれたものは、ブルジョワの子供時代を参照する。
 ブルジョワが子供時代に住んでいた家の大理石のモデル。この家ではブルジョワの両親はタペストリー工房を営んでいた。母はタペストリーの修復を行い、幼いブルジョワが手伝っていた。
 部屋の隅には蜘蛛が置かれ、これは母親を暗示する。
 
 子供時代の家は「Cell(Choisy)」(1990-93)にも出てくる。ここでは同じ家のモデルが、檻の中でギロチンの下に置かれている。尋常でなく悪い思い出が家にありそうだ。


http://thisistomorrow.info/articles/louise-bourgeois-structures-of-existence-the-cells

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https://www.artsy.net/artwork/louise-bourgeois-cell-vii


●Cell XXVI

 円形の比較的大きな檻の中に、天井から人物像がぶら下がる。布を縫って作られた体は、体に巻き付けられた螺旋状のものにより上半身から頭までが覆われていて、そこから足だけが出ている。螺旋状の女性を映す、大きな鏡が床に置かれている。純粋さを表すであろう白いスカートと、薄く縫われた透明感のある長い布が天井から下がる。

 ブルジョワの手縫いパッチワークの人物像は、多くの場合ブルジョワの手持ちの衣服や毛布から作られる。キャリアの最後の20年間(80歳を過ぎたころから)、ブルジョワは自分の人生のあらゆる段階からの服を作品に取り入れ、布地を幅広く使用した。

 タペストリーの修復家一家に生まれたブルジョワは、幼少期から織物に囲まれ、母親の修理の姿を見てきた。ブルジョワがタペストリーの描けた部分を描きなおすのを手伝うこともあった。
 ブルジョワは縫製を再建、修復、和解と結びつけるようになった。ブルジョワのにとって縫製は、不安と恐怖を払拭するのに役立つ修復的な行為といわれる。

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https://www.artsy.net/artwork/louise-bourgeois-cell-xxvi-detail

 

●「Cell XI (Portrait)」(2000)

 ソウルのサムソン美術館の収蔵品展で見た。
 檻の中に、ピンクの布を縫って作られた顔が3つ連なったものが、檻の天井から下がっている。3つの顔が首の部分でつながって縫い合わされている。苦悩の表情を浮かべる顔。頭に残る縫い目が傷のように見えて痛々しい。
 檻の床に4枚のミラーが傾けて置いてあり、それぞれの鏡にピンクの顔が映る。

 ブルジョワの言葉に、彼女には「ピンクの日」(善良で、生産的で、創造的)と「青い日」(非生産的で、絶望に満ちている)がある、というのがある。Cellのピンクの顔には苦しみしか見えないが、ピンクはポジティブなイメージを表すようだ。


 似た作品として、「Cell XIV」(2000)では、ピンクの3つの頭が首の部分でつなぎあわされ、ひとつの台座の上に載っている。

 

 



●Cell (The Last Climb)(2008)

 亡くなる2年前の2008年、最後の大作。このときブルジョワは97歳。

 円筒形の檻に中央に螺旋階段があり、檻の天井を抜けて上に伸びる。大きな青いガラス玉がいくつも吊り下げられている。

 子供時代を参照して不安に満ちた作品を作ってきたブルジョワだが、この作品では不安は見えない。死を迎える気持ちを空へと昇る螺旋階段で表し、青い球浮遊する美しい作品となっている。

 2005年にブルックリンのスタジオを明け渡したが、スタジオにあった螺旋階段を残しておいて作品に組み込んだ。

 

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つづく;