ルシアン・フロイド(Lucian Freud, 1922-2011)は現代にしてはずいぶん古典的な画風で、主に女性または男性のヌードを描く。
 しかし2008年には、存命画家としては最高(当時)の35億円で絵画が落札された。いっけん普通の絵なのになぜそんなに高く評価されているのか、と思っていた。

 2011年にニューヨークのメトロポリタン美術館を訪れた際、フロイドのミニ特集展示をやっていて、初めてまとまった数の作品を見た。
 中年の男や、太った女、やせすぎた女。
 理想化を一切しない、おぞましいまでのリアリズム絵画だった。現代絵画のほかの絵画とは一線を画する、優れた絵画であることは分かった。フロイドは好きな画家の1人となった。

 

 

参考文献; ルシアン・フロイドとの朝食 描かれた人生 ジョーディ・グレッグ

 今回この本を読んで分かったのは、人間としてはフロイドはなかなか嫌な男だということ。
 例えばこんなエピソードがある。

・結婚してもすぐ若い愛人を作る。80歳過ぎても50歳以上年下の愛人を作った。
・認知した14人以外にも子供が多く、何人いるか分からない。
・タクシー運転手と口論になり殴る。通りで出くわした人の顔が気に入らないと殴る。
・元愛人は交通違反で偽証するよう頼まれ、断ると、新聞切り抜き文字で「お前を殺す」のメッセージが郵便受けに来た。

 


 愛人は多いが本命はいつも絵の仕事だった。
 絵画に対しては厳格なププロフェッショナリズムを貫くが、私生活はだらしなく道徳もない。多くのモデルや恋人は人格の強烈さに束縛される思いを味わうが、結局は彼に惹かれ、モデルを務めに戻ってくる。

 とんでもなく描くのが遅かった。モデルは数か月に渡りポーズを取るためにアトリエに通う。
 描いているときうまくいかないと、叫んだり飛び上がったりパレットナイフで自分をついたりする。一部分を何週間も描いたあげく拭い去ることも。モデルには長時間のポーズを取らせた(7-8時間ぶっつづけのことも)。
 

 




 (このページの画像はメトロポリタン美術館、ティッセン・ボルネミッサ美術館で撮った写真及び、WIKIARTの転載可の画像による。)


●初期

 ルシアン・フロイドはイギリスの画家だが、生まれはベルリン(1922年)。精神分析で有名なフロイトは祖父。ドイツ生まれのユダヤ人だがヒトラーが政権を取った1933年に、一家はイギリスに渡った。

 初期作品。「女とチューリップ」(1945)。モデルのローナ・ウィッシャートはルシアン19歳のときの恋人で、31歳既婚者。




 1948年、キティ・ガーマン(キャサリン・エプスタイン)(元恋人のローナの姪)と結婚した。「女と子猫」(1947)。



 「女と白い犬」(1951-2)。妻キティを描く。ナイーブな描き方からリアリズムに移行した。筆の跡を残さず滑らかに描き、髪の毛1本1本に至るまで細部をきっちり描く。



 1953年、ギネス家の令嬢キャロライン・ブラックウッド(22)と結婚。「ベッドの中の女」(1952)。



 「ホテルの寝室」(1954)は妻キャロラインを描いた最後の作品。魅力的な女性として描かれていた頃から2年しかたっていないが、キャロラインは老け込んだように描かれ、夫婦の心が通っていない様子が伝わる。

 


 フロイドは結婚すると別の女と付き合う。キャロラインが出て行き、59年に離婚した。自分が悪いのに、ルシアンは自殺を心配されるほど落ち込んだ。


●60年代

 1963年、14歳の長女アニーのヌードを描き非難される。「笑う裸の子供」(1963)。今までになく奔放な筆遣い。
 後にアニーは、彼女の娘をモデルにしたいとの申し出を断ったため、フロイドが激怒し5年間会わなかった。



 1960年頃から、フロイドの絵は厚塗りで筆致の残る描き方に変わった。


 今年ティッセン・ボルネミッサ美術館で見たのは1960年代の作品だが、ちょっと珍しい感じの作品。
 "Reflection with Two Children (Self-Portrait)"(1965)。フロイドと言えばリアリズムだが、これは珍しく変な絵。
 写実的ではあるが、ありえない構図。足元の床にミラーを置き、そこに写る自身を描いた。背後の幾何学的な円形のものは、天井のランプ。そしておかしいのが、記念写真的に描かれた前景の二人の子供。フロイドが自身の子供を描いたものだが、小さすぎるしどこに立っているのか不明。ということで奇妙な絵となっている。

 



 "Large Interior. Paddington"(1968-69)。伝統的な描き方だが、なぜこうなのだろうという不安定な構図。これも自分の娘を描いているが、半裸で体をねじった不自然なポーズ。




●70年代

 シーリア・ポールはルシアンの学生だった。1978年、ルシアン55歳、シーリア18歳。
 シーリアを描いた最初の絵は「裸の女と玉子」(1980-81)で、「画家とモデル」(1986-87)は最後の絵。最初の絵では愛人として無防備に裸をさらす女性として描かれていたのが、最後の絵では着衣の女性画家として表される。傍らには裸の男性モデル。彼女がパワーを持ったことを表す。彼女は画家として自立し、フロイドのもとを離れた。
 シーリアは「容赦なく観察されるのは辛い経験」と語る。厳密な観察により相手の人格を発見し絵に命を吹き込むことができるとフロイドは考えた。モデルは「内面まで裸にされたよう」に感じた。

 


 1980年、19歳のソフィーに出会う。モデルを務める疲労と、愛人の一人であることに消耗し、彼女から別れた。が、また戻ってきた。「シーツのそばに立つ」(1988-89)。



 プライバシーを侵害されると感じ、過干渉だった母を避けていた。フロイドが母を描くようになったのは、夫をなくして母が精神病になって弱ってしまってからだった。
 「大きな室内、W9」(1973)。老いた母と、若い裸の愛人ジャケッタを対比するように描く。



 「The Painter's Mother Resting I」(1975-76)。


 レイモンド。初めて男性のヌードを描いた。「裸の男と鼠」(1977-78)。鼠を持った状態でモデルにしたいため、フロイドが酒と睡眠薬でネズミを眠らせて描いた。9か月にわたり。

 


 「裸の男と友人」(1978-80)。レイモンドと35年同居した友人ジョンとの絵。



つづく

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