昨日、孫の手を使っていて思い出した。
なぜ人は、背中をかくと記憶まで掘り起こしてしまうのか。
高校生の頃に通っていた塾の先生の話だ。
その塾、なぜか地元の国立大学生が先生率高めだった。
しかも全員、軽音楽部。
頭はいいのに、雰囲気は完全にパンクロッカー。
知性とロン毛とダメ生活が絶妙にミックスされた空間だった。
だいたい一人暮らし。
まだ恥じらいという概念をギリギリ保持していた女子高生の私は、
英語よりもまず「一人暮らしサバイバル学」を叩き込まれた。
「パンツは4日いける」
「前、後ろ、裏返して前、後ろ」
今思えば完全に知りたくなかったライフハックだが、
当時は異文化交流として新鮮だった。
で、そんなロッカー先生の一人が、ある日ぽつりと呟いた。
「おれ、人生で一回も洗ってない背中の部分とかありそう…」
その瞬間、教室の空気が止まった。
発言は不潔なのに、なぜか哲学的だった。
一回も洗われていない背中どこか部分。
存在はしているのに、本人すら触れたことがない場所。
意識の外側にある自分。
それ以来、時々思う。
たぶん私にもある。
一度も洗われず、誰にも気づかれず、
それでも確実に「私」であり続けている背中の一部が。
昨日、孫の手でそこをかいた。
届いたかどうかは分からない。
でも金曜の夜には十分すぎる思考だった。
孫の手、恐るべし。
まさかラモーンズも!?4日いける?

