オールスター 1994 出場選手 | naoyaのブログ

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思いついたらいろいろ書きます。コメントは基本的に見ません。ご理解のほどよろしくお願いします。

セントラルリーグ
監督 野村克也
王者西武を倒したID野球の使い手。
コーチ 高木守道
地味ながら優勝へ近づくジョイナス。
コーチ 長嶋茂雄
ご存知、ミスタープロ野球、頭の回転から発生する珍発言はご愛嬌。
投手
藪恵壹(新宮高-東京経済大-朝日生命・1993年ドラフト1位)
より注目の高い山部太を抑え、1年目は新人王になる。のちに暗黒時代で低迷する阪神のエースになる。
岡林洋一(高知商業高-専大・1990年ドラフト1位)
実力、実績は十分で、プロでもかなり通用したが、1992年の酷使がたたり短命に終わった悲運の男。
高津臣吾(広島工業高-亜大・1990年ドラフト3位)
山田勉に代わり守護神になり、以後セーブを量産。得意のシンカーは西武の潮崎哲也のシンカーを盗んで完成したもの。
今中慎二(大阪桐蔭高・1988年ドラフト1位)
切れ味鋭いスローカーブが武器。ナゴヤ球場でのジャイアンツ戦11連勝は未だに破られていない。
山本昌広(日大藤沢高・1983年ドラフト5位)
ご存知32年現役を続けたレジェンド。この時点で11年目のベテラン。この年沢村賞を受賞する。
斎藤雅樹(市立川口高・1982年ドラフト1位)
いわずと知れた巨人のエース。他球団のファンは斎藤が出てくると負けは覚悟していたらしい。沢村賞3回は村山実(阪神)と並ぶ最多タイ記録。
槙原寛己(大府高・1981年ドラフト1位)
3人の中では沢村賞はなく、勝数も少ないが、阪神の3連発や完全試合など、記録より記憶に残る投手。
桑田真澄(PL学園・1985年ドラフト1位)
巨人伝統、栄光の背番号18。2年目にして沢村賞を受賞した。この年、10.8決戦の胴上げ投手。
斎藤隆(東北高-東北福祉大・1991年ドラフト1位)
後にメジャーリーガーになるが、この頃はまだ荒削りで、コントロールが定まりきってなかった。
紀藤真琴(中京高・1983年ドラフト3位)
最初はなかなか結果を残せなかったが、この年急成長。オールスターに出られるまでに出世した。
捕手
古田敦也(立命館大-トヨタ自動車・1989年ドラフト2位)
言わずと知れた野村ID野球の申し子。盗塁阻止率65%は伝説。なのにドラフト2位なのは野村が西村龍次を頑なに指名したため。プロ野球選手会会長を務め、プロ野球再編問題の際には経営者と戦った。
村田真一(滝川高・1981年ドラフト5位)
山倉和博がいなくなり、巨人の正捕手となる。愛称はチュウ。意外性のある打撃力が特徴。デビュー13年目で初出場。
西山秀二(上宮高・1985年ドラフト4位)
南海に指名されたが、僅か1年で広島へ。あのデッドボール詐欺師達川が去りし後の広島の正捕手になる。
内野手
トーマス・オマリー(ジャイアンツ-レンジャーズ-エクスポズ-メッツ)
暗黒期の阪神において最も当たりの外国人。六甲おろしを歌った際、日本語より英語のほうが下手だったのは有名。この年のオフにヤクルトに移籍。
和田豊(我孫子高-日大・1984年ドラフト3位)
暗黒期の阪神では唯一の救いとも言える選手。和田の打率がチーム打率を上回ったことが何回かある。阪神の監督を2012年から4年間務めた。
池山隆寛(市立尼崎高・1983年ドラフト2位)
豪快なスイングが売りのブンブン丸。空振り三振も多い代わりにホームランも多い。古田とともに野村ヤクルトを支えた名選手。
広沢克己(小山高-明大・1984年ドラフト1位)
ヤクルトが生んだ和製大砲。愛称はトラ。1992年にホームラン王に輝いたこともある。今回は八木裕の代役として三塁に挑戦。
立浪和義(PL学園・1987年ドラフト1位)
ミスタードラゴンズの名に恥じない人気と実績。KKで出来なかった春夏連覇を成し遂げている。そのときは野村弘樹や橋本清、片岡篤史もいた。
大豊泰昭(名商大-中日職員・1988年ドラフト2位)
台湾出身の大砲。落合の移籍後、中日の4番に座り続けた。過去の出来事から野村克也と落合博満が大嫌い。2014年逝去。
野村謙二郎(佐伯鶴城高-駒大・1988年ドラフト1位)
セリーグトップクラスのスピードが武器。この年も不動のトップバッターとしてチームのAクラス入りに貢献した。
外野手
新庄剛志(西日本短大附属高・1989年ドラフト5位)
当時の阪神期待の若い外野手。実績はまだ乏しいが、人気は抜群でファン投票で松井秀喜を上回るほど。明日も勝つは大体は負けフラグである。
松井秀喜(星稜高・1992年ドラフト1位)
5打席連続敬遠など様々な逸話をもつゴジラ松井。この年ブレイクし、オールスターにも出場。高卒2年目で落合や原とクリーンナップだったのだから、規格外っぷりがよく分かる。
亀山努(鹿屋中央高・1987年ドラフト外)
今はまるまると太ってしまっているが、この頃は瞬足だった。目覚まし12個でも起きれないのはふざけているのではなく病気のせいである。
彦野利勝(愛知高・1982年ドラフト5位)
主に第1次星野政権の切り込み隊長として活躍。ホームランなのに一塁を周ったときに靭帯を切ってしまい、代走ホームランになったのは有名な話。
アロンゾ・パウエル(ジャイアンツ-エクスポズ-マリナーズ)
3割の安定した打率を残す優良助っ人。外国人だが極めて温厚である。この年のリーディングヒッター。
グレン・ブラッグス(ブルワーズ-レッズ)
実力は助っ人としては普通なのだが、キレると手がつけらなくなる荒々しい面がある。斎藤雅樹が大の苦手で、ベンチから逃げようとしたほど。
畠山準(池田高・1982年ドラフト1位)
甲子園優勝投手なのだが、1学年下の水野雄仁のほうがはるかに有名。ダイエーをクビになり、大洋で打者として花開いた苦労人。
前田智徳(熊本工業高・1989年ドラフト4位)
孤高の天才とよく評される。イチローですら前田は天才と言わせるほどの打撃センスを持つ。この時点で広島を代表する選手だった。
注)八木裕は故障のため辞退、代役として広沢克己を選出。
パシフィックリーグ
監督 森祗晶
優勝8度、日本一6度は川上哲治に次ぐ歴代2位の名将。
コーチ 大沢啓二
サンデーモーニングの喝!でおなじみ、大沢親分。2010年逝去。
コーチ 仰木彬
仰木マジックの使い手。マジックの由来は恩師三原脩の采配から。イチロー、田口壮を見出した。2005年逝去。
投手
伊良部秀輝(尽誠学園高・1987年ドラフト1位)
当時パリーグ最速の157キロをマーク。小宮山、前田と並ぶ当時のロッテのエース。のちにメジャーリーガーとなる。2011年逝去。
新谷博(佐賀商業高-駒大-日本生命・1991年ドラフト2位)
当時27歳でのプロ入りという選手。実は佐賀商業時代にヤクルトにドラフト2位指名されたが、拒否している。
杉山賢人(沼津学園高-専大-東芝・1992年ドラフト1位)
西武の抑えトリオの一角を担う左腕。実は専修大学時代、岡林や武藤潤一郎(ロッテ)と同期で、二人の控えに甘んじていた。
西崎幸広(瀬田高-愛工大・1987年ドラフト1位)
トレンディエース。新人時代、阿波野と同数勝ちながら新人王を逃した。だが、勝数、オールスター出場数は西崎の圧勝。
佐藤義則(函館有斗高-日大・1976年ドラフト1位)
オリックス初期を代表する道産子エース。奥尻島出身。ダルビッシュや田中将大を育てた名コーチでもある。翌年当時最年長でノーヒットノーランを達成した。
野茂英雄(成城工業高-新日鉄堺・1989年ドラフト1位)
小池秀郎と並ぶ最多8球団が競合したトルネード。この年が日本プロ野球最後の年、翌年からメジャーリーガーに。5年間で数多くのタイトルを手にした。
山崎慎太郎(新宮高・1985年ドラフト3位)
阿波野がダメになり、加藤や小野が鈴木監督と揉めて退団した後、近鉄を先発ローテの一角として支えた。藪の高校の先輩にあたる。
赤堀元之(静岡高・1988年ドラフト4位)
足をクロスする投法で有名。吉井に代わり抑えになり、最優秀救援に3回輝いた。近鉄バファローズがなくなる日まで近鉄一筋だった。
吉田豊彦(国東高-本田技研熊本・1987年ドラフト1位)
南海最後のドラフト1位。先発から中継ぎ、抑えもこなす万能選手。実家は酪農家で、プロ野球選手にならなかったら跡を継ぐつもりだった。
下柳剛(瓊浦高-新日鉄君津・1990年ドラフト4位)
当時ダイエーの守護神。なのにオールスター前に吉田豊彦に並ぶ9勝をしていた。阪神移籍後、複数回エラーした秀太にブチ切れたのはあまりに有名な話。
捕手
伊東勤(熊本工業高-西武球団職員・1981年ドラフト1位)
根本の寝業により熊本工業から所沢に転校し、西武に入団。オールスター出場回数歴代5位タイの16回。実は清原によるととても怖いらしい。
田村藤夫(関東一高・1978年ドラフト6位)
地味ながら、オールスター9回出場を誇る、日本ハムを長く支えた名捕手。ダイエーでは城島の教師役を務めた。オコエ瑠偉の大先輩にあたる。
吉永幸一郎(東海工業高・1987年ドラフト5位)
ダイエーの正捕手としても活躍したが、どちらかと言えばDHの印象が強い選手。ホームランは伊東、田村よりも多い。のちに巨人で代打の切り札になる。
内野手
清原和博(PL学園・1985年ドラフト1位)
ご存知、KKのもう一人。ライバル桑田真澄には強く、オールスター、日本シリーズ通算5本のホームラン。オールスターMVP7度も記録。1日も早い社会復帰が待たれる。
辻発彦(佐賀東高-日本通運・1983年ドラフト2位)
見た目は地味だが、二塁の守備ではセの篠塚、パの辻と言われるほどの職人。前年のパリーグ首位打者。2017年から西武の監督に就任し、2連覇を成し遂げた。
石毛宏典(市立銚子高-駒大-プリンスホテル・1980年ドラフト1位)
西武黄金期のチームリーダー。強いリーダーシップで西武の選手たちを引っ張り、日本一8度を数える。四国アイランドリーグのコミッショナーをしていた事もある。
広瀬哲朗(富士宮北高-駒大-本田技研・1985年ドラフト1位)
この年日本ハムは低迷するが、広瀬と田中幸雄は安定した成績を残した。引退後タレントに転向したが、最近あまりテレビに出演していない。
田辺徳雄(吉田高・1984年ドラフト2位)
清原、辻、石毛とスターが揃う内野陣において、存在、見た目ともに地味ながら、3人に引けを取らない活躍をした。清原、石毛と違い西武の監督までした。
小川博文(拓大紅陵高-プリンスホテル・1988年ドラフト2位)
プリンスホテル時代は石井丈裕や石井浩郎とチームメート。堅実な守備が持ち味の遊撃、二塁、三塁をこなすユーティリティプレーヤー。
石井浩郎(秋田高-早大-プリンスホテル・1989年ドラフト3位)
秋田が生んだサムライ。前半だけで日本ハムの田中幸雄と並ぶ19本塁打。この年打点王を獲得。仰木監督去りし後の近鉄を支えた。
初芝清(二松学舎大附属高-東芝府中・1988年ドラフト4位)
オリオンズ時代から活躍していたが、千葉に移ったことで幕張のファンタジスタの名を手に入れた。有藤通世に次ぐ2代目ミスターロッテ。彼の解説は迷言が多い。
松永浩美(小倉高・1978年ドラフト外)
盗塁王などのタイトルを持つが、阪神で不成績の上にこの年FAを使ったため、阪神ファンに嫌われた。FA第一号の1人(他は落合博満、駒田徳広、石嶺和彦)
ブライアン・トラックスラー(ドジャース)
この年前半活躍。大変な酒飲みで、あまりに飲むので球団から禁酒命令が出たほど。彼の死因も酒のアルコールによる肝硬変だった。
外野手
秋山幸二(八代高・1981年ドラフト外)
シャープな体から想像もできない超人的運動神経と長打力の持ち主。この年ダイエーにトレードされたが、人気は相変わらずで、王貞治の最多得票数をこの年抜いた。
イチロー(愛工大名電高・1991年ドラフト4位)
伝説の振り子打法で200安打を達成した、日本球界の至宝。この年就任した仰木彬監督と出会ったことで素質が開花、世界最多安打男への第1歩を踏み出す。
佐々木誠(水島工業高・1983年ドラフト6位)
岡山が生んだスピードスター。秋山らと交換で西武にトレードされたがその瞬足は変わらずに2度目の盗塁王に輝いた。その秋山と同時にオールスターに出場する。
田中幸雄(都城高・1985年ドラフト3位)
現在ではめっきり減った、日本ハム一筋のミスターファイターズ。本業は内野だが、出場機会を求めて外野に挑戦。本塁打19本でトップだったが、石井ともどもブライアントに抜かれた。
鈴木貴久(旭川高-電電北海道・1985年ドラフト4位)
堅実な守備と長打を打てるパンチ力が持ち味の近鉄の外野手。1989年仰木近鉄の優勝に貢献した。近鉄2軍コーチを務めた2004年急性肺炎のため40歳で逝去。
注)高橋智は故障のため辞退。代役として鈴木貴久を選出。