大阪は天王寺の一心寺

年に何回も訪れるヘビロテスポットですが、ブログには書いた事がないですが、大阪夏の陣400年と云う事で書いて見ますあせる

が、そんな私も全く知らなかったモノが…

霧降の松





一心寺の北門を入って左手すぐにある大きな松の幹

大坂夏の陣で徳川家康公が真田幸村公に追い詰められた時、霧を吹いて窮地を救ったと云う伝説がありますビックリマーク

一心寺は家康公との繋がりの深いお寺です

徳川仙千代の墓


1600年2月7日、家康公の八男の仙千代君が夭折し、一心寺で葬儀が営まれます

導師を努めたのが、同郷の三河の僧で時の住職
本誉存牟上人でした



正式名称は「坂松山高岳院一心寺」

高岳院は仙千代君の法名「高岳院殿華窓林陽大居士」から

坂松山の謂れは摂津名所図会に書かれています

一心寺の山内の古松に家康公が馬を繋ぎ(駒繋ぎの松)、千歳の貞松と祝し、この辺りの地名 相坂(現在の逢坂)と呼ぶので、板面に坂松山の扁額を賜るとあります

この駒繋ぎの松は未詳ですが、一心寺は昭和20年の大阪大空襲で伽藍の殆んどを消失していますので、同時に消失してしまったのかもしれません