越中井の程近く、大阪市中央区玉造の大阪カテドラル聖マリア大聖堂・カトリック玉造教会




1894年聖アグネス聖堂が建てられ、玉造教会が誕生

聖堂は戦災により焼失するが、仮聖堂を経て、1963年に聖マリア大聖堂へと生まれ変わります

ガラシア像






ガラシアは1584年に秀吉さんの計らいにより、丹後味土野の幽閉先から玉造の屋敷に戻ってきます

いつ頃からキリスト教に心酔していったのかはよく分かりませんが、
1587年の秀吉さんの九州征伐に
帯同した忠興公の留守中に、ガラシアは教会を訪れて熱心に、教義について質問します

後に、コスメ修道士は「これほど明晰かつ果敢な判断ができる日本の女性と話した事は無かった」と回想しています


外出も罷らないガラシアは、その後、グレゴリオ・デ・セスペデス神父の計らいで、教義を学んだ清原マリアから受洗

高山右近像


高山右近は細川忠興と同じく、利休七哲で、忠興と仲が良く、忠興を通じて、高山右近のキリスト教の話をガラシアは聞いていて、関心を持っていたとも言われます(そうならばもっと早い段階からキリスト教に触れていた可能性はありますが)

大聖堂内

ガラシアの最期を描いた壁画が有名ですが、著作権云々の問題があるので、画像はアップしません汗

ガラシアさんと言うと、キリスト教の話ばかりですが、細川家に嫁いだ後、建仁寺十如院の英浦永雄の元で三十数回学んでおり、非常に聡明な女性だったと察する事が出来ます

(建仁寺は今の大河ドラマで玉とお江が初めてあった場所と設定されて出て来ました)



昭和25年にガラシアさんが無くなって350回忌を記念して建てられた碑



かめ吉が気になるのは、侍女が通い、ガラシアが訪れた教会がどこに有ったか?と云うこと!!

その事に言及した物は無い!?

色々調べたが、分からない涙

一つだけそのヒントになる文章があります

ルイス・フロイスの「日本史」の中の一文


「天正十一年(1583)、岡山の教会を大阪に移す オルガンテイーノは大阪に秀吉を訪れて地所の下付を願い、河内岡山の教会を同所に再建する許可を求めた。秀吉は快諾し自ら城外に出て与えることに決めた地所に赴き、それを 測量させたところ、長さ約六十プラザ、幅五十プラザ近くあった。彼は自らその地所の所 有権を同行したロレンソ修道士に与えた 授けられた地所は、大阪では最良の場所の一つであり、秀吉が述べたとおり、多くの諸侯が求めたが彼が誰にも与えなかったところであった。その地所の一方は川に沿い、非常な高台となっていて背後の三方は切り立ち、堅固であたかも城塞のような地形をなしており、 どの場所からも大阪の美しい優雅な眺望がきいた 岡山の教会をここへ移す作業は短期間で終り、降誕祭の聖儀を同所で催すことができる運びになった」

大坂城の南、上町台地上にあったと云う感じはして来ますが、どうでしょうか?

それはさておき、さくらゆきさんのニューシングル「関ケ原~昴の彼方~」キラキラ

歌録りも終わって完成まであとわずからしいです

細川ガラシア題材の「落花流水」おんぷ

聞いて見たいですよね!!





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