入院する前からの事だから

かれこれ10日以上になるのだろうか。
 
ここに、年末年始肺がんだけではなく
インフルエンザ、肺炎と、まさに
検査結果を見ただけで
二階堂さんが号泣してしまう。
涙腺を溢れさせてしまう。そんな
命の綱渡りの様な曲芸をしている、
 
俺、44歳。
 
千葉在住(伸びかけた坊主頭が
少しカッコ悪い)
 
人に言い辛い
絵柄入りの皮膚を持ち、
カラオケに際しては
北海道を代表する歌手の様な
マイクの持ち方もしてしまう。
 
そのくせ歌はあまり
上手くないから
途中で止めちゃう時もある
 
そんな俺の年末年始、
命をかけた大一番とは
一線を画しながら
続いてきた、戦い。
今まで肺炎、
インフルとの
戦いの陰で
隠され、秘匿されてきた
 

「もうひとつの戦い」
 

が在った事を、
 俺はこの場を借りて、
皆さんにお伝えしようと思う。
そして、それこそが
令和二年を迎えた
俺の大切な初仕事になる。
 

【気づいた時には既に】

いよいよ年末を迎え、活気付く街。
おれはスーパーの便器に座りながら
一瞬、不思議な感覚に陥っていた。
 
「実が、出ない」
 
いわゆる空砲しか出ない。
感じたことのない感覚に違和感を
覚えながらも、日々の流れの中で
それも「日常」として流されていく。
 
数日後、そんな違和感よりも
とんでもない現実が俺を襲った。
 
 
自然の前に人は無力だ。
 
山の怒り、海の怒り。
川が暴れる姿。その時に
見ていることしかできないように、
 
俺も、自分に起きている変化を
傍観しながら、ただ、ただ崩れ落ちて
いく足元を感じるしか無かった。
 
一瞬感じた違和感と
みるみる上がる熱。
震える関節、抜けていく力。
 
病院に行くとすぐに「例の検査」
をされた。そして、インフルエンザ
である事がわかって、前出の
インフルエンザの内容へ。
 
しかしながら、
俺は毎日トイレで座る
たびに「出ない」という
ことを強く実感するように
なっていった。
 
日々長くなる空砲の時間。
張ってくるお腹。
 
クリスマスを過ぎるころ
俺は遂に自分の身体に起きている
状態を認めなければ
ならなくなった。
 
俺「二階堂さん、俺、実は」
二階堂さん「どうしたの?(既に泣きかけ)」
俺「俺、便秘かも」
二階堂さん「下剤あるよ!欲しい?(嬉しそう)」
俺「大丈夫。ここで下剤を使うわけには…」
 
そして数日後…
 
あの、地獄の釜が開いた夜。
 
聖隷佐倉の救急の待合室で
俺は診察を待ちながらある事を
思っていた…
 
今。口からはゲロも痰も
時には血も吐いてる…
 
なのに下からは空気しか出ない…
 
ならば俺の「うんこ」は
どこにいるんだ?
 
ウォーリーだって本の中には必ずいる。
それなのに
「自分のうんこがどこにいるかわからない」
なんて事があって良いわけがない・・・
 
うなされながら、朦朧とした意識の中で
点滴が繋がれていく、繋がれた点滴が
二股に、三股になっていくのが見えた。
 
緊急入院が決まり、元カノ共々病室へ。
静寂に包まれた深夜の緩和病棟を乱す
俺の入院、咳と嘔吐でどうしても
体が暴れてしまうのを押しとどめてくれる
二階堂さん。俺の背中をさすりながら
トレーで俺の痰や吐瀉物を受けてくれる
二階堂さんの耳元に俺は囁いた。
 
「下剤、ちょうだい」
 
それから日に2度、
下剤も処方されるようになった。
 
オプソ(モルヒネ)の副作用で便秘に
なることは知っていた。
ただ、便秘の質がここまでのものだとは
想定外だった。。。。
 
そして、下剤を飲み始めてから1週間
それは、唐突に訪れた。
 
うんこしてえ!
 
トイレに座り、いきむ俺。
もしかすれば声も出ていたかも。
 
頭が出てきそうな、出ない様な。
 
数秒を、永遠に感じながら膝を
掴んだ時「スルン!!」という感覚が
感じられた。瞬間、俺は勝利を確信した。
 
キタコレ!!
 
一山を超えたらあとは
スルスル、ヌルヌル。
 
「超気持ちいい」
 
「あああああああああ」
 
このお正月で初めて訪れた
快楽に、思わず腰が砕けそうに。
 
トイレでの長い戦いを終えた俺は
点滴台につかまり歩きをしながら
 
部屋に戻った。
そして、トイレ記録に美しい楷書を
心がけながら記入する。
 
「尿及び便」が出た、と。

このブログの読者の皆さんに
今、伝えたい。

令和2年1月3日 俺は
1週間以上ぶりに

うんこでました!