かたつむり甲斐も信濃も雨のなか 飯田龍太
かたつむりという目の前の小さな命。
そこから「甲斐も信濃も」という、ドローンもびっくりの大景への広がり。
これこそがこの句の醍醐味と言えるだろう。
飯田龍太は山梨の俳人なので「甲斐」を描くことに何も違和感はない。
その「甲斐」に続いている地として、飯田龍太は「信濃」を選んだ。
たしかに「甲信越」と呼ばれるくらいに「甲斐」と「信濃」の繋がりは強い。
しかし、どうだろう。
俳句に地名を入れることは、より必然性が求められる。
例えば、「信濃」を「駿河」に置き換えてみる。
かたつむり甲斐も駿河も雨のなか
「駿河」とした方が、明るいイメージをわたしは持った。
それは「駿河」という国のわたしの中にあるイメージもあるのかもしれない。
しかし、この句の韻を考えてみたときにその謎は解けた。
甲斐は「ka-i」
駿河は「su-ru-ga」
それぞれ母音のaではじまり、aで終わっている。
駿河の終わりの母音aこそが明るい印象を持った要因なのだろう。
しかしこの句に相応しいのは雨の持つ明るさ、ではない。
「駿河」の場合は、aで綺麗に整えられているように思うが、これでは句のリズムが平坦になってしまう。
「駿河」ではなく「信濃」とすることで、母音aではじまる「甲斐」がより際立つ。
また「信濃」で一旦落ち着かせることで、中七の繋がりを滑らかに、強固にしているように思う。
それは実際の「甲信越」の繋がりを更に強く表現する。
そしてもう一点。
「信濃」の「濃」という字は、とても重要な役割を果たしている。
「濃」の一字によって、読み手は終わらない降りしきる雨を連想するのだ。
かたつむりという命への慈しみ。
海に面さない甲斐と信濃へと降りしきる雨。
郷土への愛着、もしくは愛憎の念も込められているのかもしれない。
雨の時期になると必ず思い出す、紛れもない名句である。
(河口湖天上山より、富士山。眺望絶佳。)
笠原小百合 記