韓国人大学生を対象にした授業で、韓国語のエッセイを日本語に翻訳してみようというのをやってみました。

ものすごい思いつきでやったのですが、日本語話者としては上級レベルの人たちだったので、

自分で訳したものを隣の人と交換してチェックすることで、

お互いにもっといい言い回しがないか、表現として適切かどうか、がチェックできたようです。


外国語を学ぶときに、翻訳ってどういう意味を持つんでしょうか。


とっかかりに、


翻訳夜話2 サリンジャー戦記』を読みました。

翻訳夜話 (文春新書)/村上 春樹
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翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)/村上 春樹
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これはまあ、どちらかというと、村上春樹が翻訳に挑むにあたっての心構えみたいなことが書いてあるのですが、

その続きで 青山南「ピーターとペーターの挟間で」も読了。

こちらのほうが、より翻訳テクニックっぽいことまで言及されています。

ピーターとペーターの狭間で (ちくま文庫)/青山 南
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いずれにしても、外国語の文章を日本語で表現することになるので、

表現を磨くにはいい練習になるのでは、と思います。


もちろん、本気で翻訳家になるなら話はまったく違うのですけど。



昨日たまたま図書館で借りたのは 遠藤周作「狐狸庵読書術」

私はこの人の本が本当に好きで、学生時代にむさぼるように読んだのだけど、

まだまだエッセイの中には読んでないものもたくさんあるなあと、手にとりました。


狐狸庵読書術 (河出文庫)/遠藤 周作
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そこに書かれていたのは、「翻訳ではどうしてもその作家の文体がわからないし、また、日本語のニュアンスが向こうの言葉をぼかしてしまう」ということ。

だから、原書を読むべし、と。


外国語教育の中で本を読むことの大切さを、どうやって伝えたらいいのか

それは、自分の国の言語で本を読むことと同じなのだけど、

遠藤周作曰く、国語教育は「意味の解釈だけに重点をかけて、その『おいしさ』をゆっくり味わわせるほうは軽視する」。

「だから若い連中は、小説を読むと、意味理解と、スジ書きだけを追って読む。噛みしめれば噛みしめるほど味の出る言葉の使いかたや詩的なイメージはおろそかになる」


これは、外国語教育でもそうかもしれないな、と思います。

本当は、日本語を教えるにしろ、中国語を教えるにしろ、その言葉のもつ美しさとか、深さを伝えたい。

でもそれをどこまで伝えられているのか、受け手はそれを必要としているのか、

そこも考えなければならない課題だと思います。


最後に

「何回も読みたいと思う本を5冊、人生に持っている奴は幸せだ」

日本の名詩のアンソロジーを文庫で二冊買い、その中で気に入ったものを5つ暗誦する。「それが、散歩をしているとき、酒をひとりで飲んでいるとき、口に出るようになったら、君の人生には得なことが加わったのさ」


こんな風に、伝えることができたらいいなあと思います。