合掌 5月24日 安岡力也さんお別れの会 | 電撃ネットワーク ギュウゾウ ブログ『ギュウゾウ新聞』 Powered by アメブロ

合掌 5月24日 安岡力也さんお別れの会

安岡力也さんお別れの会。



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梅宮辰夫さん、宇崎竜童さんの別れの挨拶が見事だった。
梅宮さんは語りかけるように。
宇崎さんは物語を紡ぐ様に見事な言葉と声で。
内田裕也さんは遺影に向けてホタテのロックを唄ったのだが、これが裕也さんらしい姿でうるっときた。




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遺影の両脇にはステージ衣装。
力也さんが好きだったプレスリー風の派手なものもあった。


シボレー・インパラは平塚のホーミーKEIさんが作った車だろう。Tシャツと共に展示されていた。
http://homie-japan.com/mr_kei.html



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去年から今年にかけてお世話になった先輩たちがずいぶん亡くなった。
寂しいものだ。


お別れの会会場には、芸能界の重鎮たちがたくさん参列していた。


ジョー山中さんを見かけた気がして声をかけようとしたが別人だった。
ジョーさんは去年鬼籍に入っている。
ひょっとしたら迎えに来ていたかな。


ワタシが士道館の添野館長と一緒にいる時に、後楽園ホールで力也さんもいらっしゃっていて、添野館長が「力也も昔はキックボクシングで頑張ってたんだよな。でも減量が下手だったな」と声をかけると、力也さんは「押忍」と返事をしていた。力也さんも「押忍」って言うんだな……と感心したことをなぜか思い出した。力也さんはミュージシャンであり俳優でありプロのリングに上がった格闘家でもあった。


そういえば、空手家で作家の真樹日佐夫先生、ミュージシャンで俳優の忌野清志郎さんのお別れ会・葬儀式もここ青山斎場だったね。


「出会いと別れが人生なんだ、また逢う日を楽しみに」
(真樹日佐夫先生語録より)


合掌


・・・・・

■安岡力也さんお別れの会
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2026979&media_id=42
(サンケイ)


心不全のため、4月8日に死去した俳優、安岡力也さん(享年65)のお別れの会が24日、東京・青山葬儀所で営まれた。屈強な肉体ときめ細やかな性格を慕い、発起人の俳優、梅宮辰夫(74)ら芸能関係者約400人が参列。弔辞を読んだロック歌手、内田裕也(72)は力也さんの楽曲「ホタテのロックンロール」の替え歌をシャウトし故人をしのんだ。


1960年代、シャープ・ホークスのボーカルとして活躍した力也さんに対し、ロカビリー歌手の故山下敬二郎さんやギタリスト、寺内タケシ(73)らとコラボして歌謡界を盛り上げた裕也が、鎮魂の“ホタテロック”を響かせた。


「力也をなめるなよ 大人に負けないぜ 言いたいこと言うぜ やりたいことやるぜ これが力也の これが力也の 力也のロケンロール!」

2002年の撮影で、鋭い眼光で裕也から贈られた星条旗柄のシャツを着た力也さんの遺影を前に熱唱すると、最後は「お疲れさん!」とシャウトした。


2人は歌手以外に、78年の映画「エロティックな関係」で共演するなど切磋琢磨(せっさたくま)してきた。

フジテレビ系「オレたちひょうきん族」の人気キャラ「ホタテマン」として83年リリースの「ホタテのロックンロール」を歌ったことについて、「当時、街を一緒に歩くと多くのファンが『力也~』って声をかけてくれたのがうれしかった」と説明。「本来は繊細なヤツ」(裕也)という力也さんが従来の“無敵のワル役”というイメージに加え、子供にも愛されるキャラになったことを喜んでいた。


祭壇はカーネーションなど白を基調とした8種類の生花約1000本で彩られ、所属事務所は「コワモテだけど優しい面もある力也さんをイメージした」と説明した。


式場には力也さんが肝臓病などで闘病していた2007年ごろに購入した1963年製の米高級車「シボレー・インパラ」を展示。関係者は「病を克服したら乗ろうと決めて、力也さんが購入した」と説明した。仲間との酒宴を好んだ力也さんにちなみ、参列者は米国のバーボン「ワイルドターキー」を飲み交わして故人をしのんだ。