母校 関東学院大で講義 | 電撃ネットワーク ギュウゾウ ブログ『ギュウゾウ新聞』 Powered by アメブロ

母校 関東学院大で講義

スーツ着ようかとも思ったが、普段着の白ライダースで講義。

久々に門をくぐった母校は、すっかり綺麗なミッション系大学になっていたなあ。

校内にでっかい電飾クリスマスツリーがボンボンだっていて、学ラン学生はおろか、ジャージ姿もいなかった。

ワタシはほとんど学生服とジャージ以外で学校に行った事なかったが・・・。

せっかく来たので、体育部連合会本部に行って先輩風を吹かそうと思ったら、本部看板が外れていて、ノックしても返事がない。

ガチャガチャとノブを回していたら「何か御用ですか」と、おばさんが。

本部は、購買部の物置になっていた・・・。

本部は新築された、守衛つきのデラックスなクラブ・ハウスに移ったみたい。

嬉しいやら、寂しいやら・・・・・寂しいな。不在だったし。

ワタシが学生時代に使っていた応援団団室があった場所も、新築の実験棟になっていた・・・・・・。



ワタシの時代、本部には常に電話当番がいて、電話がかかってくると

「押忍 体連本部です 自分は ○○部所属 ○○学部○○学科○年次 ○○です」

と、もしもし代わりの長い返答で答えたもんだったが・・・。

この電話当番は授業時間の休みとかはないので、
熱心に当番をやると出席不足で電話番留年してしまう学生が一杯いたんだ、がはははは。

昭和の話さ。


さて、講演・講義である。





「一人旅のすすめ」

と題打って、ワタシがタイで出会った泥棒、オカマのスリ、睡眠薬強盗、カンボジアで地雷を踏みそうになった話、アムスのラリって運河に落ちたおじさんの話などを1時間。

この時期に関東学院でオランダの話をするのはさすがにはばかったので、少しだけにしといた。ワタシは常識人だからな、がはははは。

心配された教室の入りもほぼ満員で、途中で帰る人もいなかった。
やはり出席票を最後に回収すると違うな、ぐふふふ。

昼食を食べた学食だけは、現役の時とほとんど変わらぬ値段で提供していた。
懐かしいコロッケカレーを食べる。味も変わらない。そんなのも嬉しいことだ。

こうして学校側からの要請で、大学に来れた事を嬉しく思います。

用意していた話の半分も話せなかった・・・質疑応答含めて話だけで1時間半は大変な事だ。
電撃で一緒にやってるメンバー、ネタに助けられてるなぁ、と改めて感謝。


帰り道で大学の大先輩、松田優作さんが常連だった下北沢のバー「LADY JANE」に寄り、
アーリータイムズを飲んで帰宅。テレビをつけたらこれまた先輩の石塚さんが「まいう~」と言ってた。