もう仕事を辞めてから28年にもなります。在職中の仕事内容は対人関係が大切な部門だったように思います。その中でも組織の女性役員の方々のご恩は忘れられません。今ではJAも大きく変わり当時の話は遠い昔のものとなりました。
そんな中で数年前からお声かけをして下さる方がおります。そういえば昨年は一回もお会いしなかったなぁ~とご自宅のそばを通るとき常に思いはありました。昨年はお留守のようでしたが玄関先に収穫した野菜を置いてきました。今回はお電話しても出なかったのですが、思い切ってご自宅へお邪魔しました。一瞬私をわからないようでしたが、お話しているうちすっかり以前の彼女になっておりました。今年になって足を骨折して退院はしましたが、歩くのが大変になったということでした。一時間半ほどいろいろ昔話をしました。今もご自分の事はなさっているようですが、隣に住む娘さん夫婦にすっかりお世話になっているということでした。
収穫したトマトをお持ちしました。
いろいろな彼女の話から夢に出てきたという彼女の書いた習字がお隣の客間に飾ってありました。
彼女の言うことには「出してくれ、出してくれ」と言っていたようです。二階に置いてあるタンスの中にはご自分が書かれた習字が丸まって入っていたそうです。彼女自身も忘れていたとか。もう50年ほど前に書かれたものだそうです。彼女は何をやっても手を抜かない方で社交ダンス、押し花、習字、料理数えたらきりがありません。
「来てくれてありがとう」と何回もおしゃってくださいました。又折に触れ訪ねてみたいと思っております。
楓橋夜泊 《張継》
全文
「月落烏泣いて 霜天に満つ 江楓漁火 愁眠に対す 姑蘇城外 寒山寺 夜半の鐘声 客船に到る 」
月は沈み夜烏が鳴き、霜の降りる気配が天に満ち満ちて、冷え込んできた。川岸の楓の木々の間には漁火が点々として、旅愁のためにうつらうつらとして眠れない私の目に映る。 もう夜明けも近いのかなと思っているところへ、姑蘇城外の寒山寺から打ち出される夜半を告げる鐘の音が、私の乗っている旅の船にまで響いて来たのであった。
(関西吟詩文化協会)
彼女の過去記事はこちら ⇒
彼女は昭和5年生まれ。今年95歳。
つい2年前までは自宅後ろの畑をご自分で管理しておりましたが、今は残念ながら耕す人もおりませんでした。彼女の性格からすれば無念の思いはあるでしょう。果たして我が家はどうか…考えさせられる事柄です。

