妊娠18週に入りました。


3回目の妊婦健診がありましたが、この間、妊婦健診は1回/月なので、不安…。

はたして、お腹の子は生きているのか…?




腹部エコーをして、画面に写った姿を見て、

「お!前より大きくなってる?

ってことは、生きてる?」

と思いました。


先生もすぐに、「赤ちゃん、元気ですよー!」と。


ひとまずよかったー笑い泣き


「大きさも週数通りですね。性別、気になると思いますが、まだわからないですね。」と。




性別に関しては、今回、無認可施設で、NIPTを受けて、性別も調べてもらったので、実は知っています。

第二子も、女の子です。姉妹になります。

でも、診察で言うのはややこしいかと思い、「そうですか」と言うに留めました。



そして、先生から、この間の体調を聞かれたらので、つわりのことなどを伝えました。



つわり:

👩(私):14週くらいがピークだったと思います。その頃は毎日吐いていました。

今は、よくなりましたが、まだつわりはあります。

たまに吐く日もあります。


🧑‍⚕️(医師):ご飯は食べれていますか?


👩:はい。何とか、食べれています。



感染症:

👩:3週間前くらいに、上の子からうつって、マイコプラズマ感染症になりました。

一応、妊娠中であることを伝えましたが、抗菌剤や咳の吸入剤などを服用しました。

今は、咳はかなりよくなりました。


🧑‍⚕️:そうですか。妊娠への影響はないと思います。



その他の出来事:

👩:身内に不幸があったので、実家に帰省したいと考えています。実家は遠方なので、飛行機に乗る必要があります。いつくらいまでなら、飛行機に乗っても大丈夫なものでしょうか?


🧑‍⚕️:これは難しくて、こちらの立場では、絶対に大丈夫とは言えないんですよね。一般的に、安定期の間なら、問題ないとは言われていますが、申し訳ないけど、自己責任ということになってしまいます。

飛行機よりは、新幹線の方が安全とは言えます。


👩:そうなんですね。北海道なので、新幹線はないです…。年内くらいなら、大丈夫かな?という感じでしょうかね?…自己責任ですが…。

身内…実の父が亡くなったので、帰らないわけにも行かなくて…。

実は、この間も、一度、飛行機で帰ってました。お葬式がありましたので…。


🧑‍⚕️:そうですか…。いつ頃、帰省を予定されてますか?


👩:一応、11月の初旬を予定しています。


🧑‍⚕️:わかりました。(電子カルテに書き込んでいる模様…)


🧑‍⚕️(助産師):北海道、いいところですよね〜。でも、ご実家、遠いんですね〜。帰られる時に、向こうの産院を調べて行かれるといいと思います。何かあった時に受診できるように。あと、母子手帳は持っていってくださいね。


👩:そうですね。ありがとうございます!


👨‍⚕️:次の健診は、また4週間後になります。今日は、これで診察は終わりです。


👩:わかりました。ありがとうございました。




という感じで、3回目の妊婦健診は終了でした。

この間、本当にいろんな出来事があったのですが、赤ちゃんは無事に成長しているようで、安心しました。




父が亡くなったことは、覚悟していたとはいえ、ショックではありました。


父は長年、パーキンソン病を患っていて、徐々に悪化していました。


これまで家で過ごしていたのですが、母一人で父を看ることも難しくなってきたため、この冬から父を施設に入所させていました。

父は家にいたかったようで、施設では家に帰りたいと言っていたそうです。


施設に入れた途端から、父の食欲が落ち、衰弱が目立つように。

当初は、入所した施設のご飯が美味しくないからか?と思い、母と相談して、外部ではなく、施設でご飯を使っている所に転所させたりもしたのですが、食欲は回復せず…。

逆に、転所した施設はご飯は現地で作ってはいるものの、入居者の観察や家族への連絡体制がイマイチで…。


最後は、あまりに弱って、これはおかしい!と感じた母が、かかりつけの病院に相談して、入院させる事態に。。。

そこで、まさかの、急性腎不全が発覚!

かかりつけ医からは、ここ数日、尿が出ていなかった可能性があると…。


急変して、いきなりの危篤状態に…。

なんとか急性腎不全は回復したものの、その数日後から、肺炎の傾向があると…。


その肺炎がどんどん悪化し、調べると、耐性菌由来だったようで、もう抗菌剤も効かず…。

あっという間に、また危篤状態に。


今回は、先生も回復の見込みがないと判断されたようで、家族を呼んでくださいと母に言われたそうで、母から私に、緊急の電話が…。


とはいえ、飛行機を使っても、半日はかかります。

間に合うのか…。

急だし、何かあった時に、身動きが取れないので、娘は夫に任せて、お留守番させました。


私は、その日の夜に病院に着き、父に会えました。

父はそこから、3日間頑張りました。


おかげで、第二子が産まれることや、これまで色々なところに旅行に連れて行ってくれてありがとうと、お礼を伝えることができました。


父も、少し意識はあったようで、頷いたり、「わかる…」と答えたりしてくれました。


肺炎だったので、呼吸が苦しそうでしたが、最後の最後は、眠るようでした。


本当に、父の最期に間に合って、よかったです。




そこからは、もう怒涛のように、お葬式の準備。

葬儀屋さんが段取りよくやってくれたものの、決めなくてはいけないことがたくさん…。

母と協力して、何とか葬儀を済ませました。

(1週間も、夫とお留守番してくれていた娘にも感謝です。こんなに長い間、離れたのは初めてでした。)




少し落ち着いてからは、後悔する気持ちとこれでよかったんだという気持ちで揺れ動いています。


やはり、ここ数年は、あまり実家に帰れていませんでした。それが心残りです。

でも、最後に孫である娘に会ってもらうことができて、親孝行できたかな?とも思います。

(孫に合わせることだけが親孝行とは思ってはいませんが、私の場合は親元を離れて就職してしまったし、それ以外は親孝行らしいことはできていなかったと思います)



あと、母と話していたのは、元気な時に、たくさん旅行に行ったのがよかったねということでした。

たくさんと言っても、年に一回くらいで、近場のこともありましたが。

後から思い出すのは、「あの時あそこに行って、あんなことがあったよね」とか、旅行のことが多かったです。

日常のことは、流れていってしまって、後からは思い出せない。。。

父の遺影も、旅先で撮った写真にしました。




なので、今は、娘とこれから産まれる第二子とも、たくさん旅行をして、思い出を作りたいなと思っています。

できたら、母も連れて行きたいですね。