魔王オディオ(憎しみ) | 松本電電丸の劇場

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元ヲタク役者、松本電電丸のブログです。
まあ気ままに書いてます。
アニメやゲームネタ結構ぶっ込むかも。

最近ネット広告で見る漫画は、エロか復讐劇かの二択のように思える。

復讐って気持ちいいもんです(但し逆恨みは別)。俺自身も虐げられてる身ですし、虐げた野郎が散々な目にあってほしいと願い、実現すればザマーミロと心の中で呟くもんです。

俺をいじめた野郎共、借りパクしてそのままな野郎共、みんな不幸な目に合ってしまえ!

そんな時、ふとあるゲームを思い出す。

その名は『LIVE A LIVE』

1994年に当時のスクウェアから発売された、新感覚オムニバスRPG。原始の時代からその真逆のSF時代まで、様々な時代の物語をクリアしていく。そして全ての時代をクリアすると、中世編『魔王』が出現する。この中世編、結末に驚かされた人も少なくないだろう。

あらすじとしては…

ルクレチア王国にて、王妃アリシアへの求婚の権利を得られる武闘大会が開かれた。
決勝戦に残ったのは剣士オルステッドと、その親友の魔道士ストレイボウ。
勝利したのはオルステッド。その闘いぶりにアリシアは彼との結婚を宣言する。
その夜、城の外で愛を囁き合う二人。しかし、そんな時間は無情にも突如現れた魔物達に砕かれてしまう。オルステッドはこれを迎え撃つが、その闘いの最中にもう一体の魔物にアリシアを連れ去られてしまう。連れ去られた先は、かつての魔王山。
魔王復活の知らせを聞き、危機感を募らせる国王に、オルステッドはアリシアを救いに行く決意を告げる。新たな勇者が誕生した瞬間であった。
ルクレチア王国の人々に見送られ、魔王山へ行く手掛かりを掴むため、魔王を倒すため、まずはかつての勇者ハッシュとそのパートナーにして賢者ウラヌスを探しに行く。親友ストレイボウと共に…


というもの。いかにも正統派なストーリー…なんですが、結末はとんでもないことに。
※中性編ネタバレが嫌な方は回れ右して下され。





















 

 

 

 





魔王山で戦った魔王はニセモノで、その戦いでハッシュは病がたたり、死んでしまう。そしてその直後の落盤事故に巻き込まれたストレイボウは行方不明。仕方なくオルステッドはウラヌスと共に一度ルクレチアに戻る。
その夜、オルステッドの前に現れたのは魔王。これを倒すが、それは幻覚で、正体は国王だった。駆けつけた大臣や兵士達に国王殺しの嫌疑を掛けられ、さらに魔王呼ばわりされてオルステッドは投獄されてしまう。彼の無実を訴えるウラヌスもまた同じ運命を辿ることに。
ウラヌスの命を賭した魔法により、脱獄を成功させたオルステッド。

自分を勇者と称賛した民衆からも見放された今、無実を晴らすには、魔王山に囚われたアリシアを救うしか無い。魔王山の魔物達を蹴散らし、魔王山山頂に到着したオルステッド。しかし、そこに待ち受けていたのは衝撃の事実だった。

待ち構えていたのは魔王ではなく、死んだと思われた親友ストレイボウ。

 

彼は長く溜め込んでいたオルステッドへの嫉妬とそれによる憎しみを解放し、彼に王殺しの罪を着せたことを明らかにする。それでも現れたオルステッドと決着をつけるため、ストレイボウは全魔力を駆使して立ち向かう。

オルステッドはこの悲しい戦いに勝利し、ストレイボウはまたもオルステッドに勝てなかった悔しさを吐露し、この世を去る。そこに現れたのは、アリシア。

長く探してきた姫に歩み寄るオルステッド。しかしアリシアは既にストレイボウに心変わりし、オルステッドを拒絶する。彼を罵倒し、更にストレイボウの後を追うように自害。

勇者と自分を持ち上げた民衆から疑われ、信じていた親友に裏切られ、そして何より、愛する姫にすら拒絶されてしまい、絶望するオルステッド。

彼はその胸に去来し、大きく膨れあがった感情を爆発させる。それに呼応するかのように、魔王山山頂にある像が目を光らせた。

「憎しみ」の名を持つ魔王「オディオ」誕生の瞬間だった………



というもの。

 

 

その後、これまでクリアした時代の物語の主人公たちがオルステッドの世界へ召喚されることに。これが「最終編」となる。なお、魔王となったオルステッドを主人公にすることもでき、その場合はこれまでの時代の「オディオ」達ボスキャラをプレイヤーとして操作できる。

 

発売された1994年、俺はまだ小学生だったからストーリーをあんまり理解し切れてなかったと思う。実際SF編なんかほとんど戦闘無かったし、ベヒーモスに追われててんやわんやして投げ出しそうになったり。その物語に込められた深さも理解できずに。

 

『LIVE A LIVE』のテーマは3つだと思う。

 

「生きる」

 

「人間」

 

そして、「憎しみ」

 

何故さまざまな時代の主人公たちが呼び寄せられたのか。それは「憎しみ」という感情が、はるか原始の時代から、はるか未来はたまたそのさらに先まで存在し続けるものだからだ。

 

人間の歴史を紐解けば争いばかりである。戦争のみならず、一方的な虐殺も存在する。虐げられた人間に憎しみは去来し、語り継がれて時を超えて存在し続ける。最終編の主人公たちの召喚は、そういった制作者側のメッセージではないかと思われる。そしてオルステッドが人間のままの姿というのも、人間を拒絶した魔王となりつつも結局は人間だったという暗示なんだろう。

 

憎しみは破壊によって満たされる。けれどその破壊が新たな憎しみを生み、新たな破壊を生み出し、また更なる憎しみが生まれる…まさに負のスパイラルである。

憎しみに身を任せるのは簡単だが、それに手を染めてしまったら結局は自分を見失う結末になるし、何より傷つけた罪を背負わなければならなくなる。憎しみを乗り越えるということは簡単にはいかない。

だけど、自分や、自分の大切なものを踏みにじった連中がそれを省みず、ヘラヘラしてるのは許せないもの。そういう連中は第三者の目からしても許せないものだ。だからそういった連中を踏みつぶす「復讐」というものにカタルシスを覚えてしまうんだろうな。

 

それでも、自分が傷つけられたからと言って相手を傷つけて良いなんて道理はないんだけど。だからこそ漫画やドラマのような架空の物語をもって、内に潜む憎しみを解消させようとしてるのかもしれないね人は。

 

 

…あー、『LIVE A LIVE』やりたくなってきた。けどアレ、再評価されたせいなのか中々手に入りづらいんだよな。