気分を病むときに感じる要素として、周囲の人間との解離感があります。


自分と同世代の同じ境遇の人間と話をしたときに感じる、


自分と他の健常な人々との間にある溝のようなもの。


溝というよりは薄膜のようなものといったほうが的確かもしれない。


向こうの様子はわかるし、それが同世代の普通の生活なんだろうな、と思うけれど自分には決して超えられない「薄膜」。


その薄膜がある限り、自分が薄膜を認識している限り、決して彼らのように笑うことができない。


理解はしていても、彼らのように振る舞うことはできない。


その感覚を覚えてしまうと段々と気分が憂鬱になってくるのです。



自分も彼らと同じはずなのに…、まるで永遠に戻らない若かった時を懐かしむ老人のような感覚。

いよいよ自殺することを決めました。


予定としては1年後の3月末にする予定です。


なぜそんなに後かというと、


来年から仕事をするので1年間貯めたお金を少ないながらも親に残したいと思ったからです。



ここまでの日記で書いてきたように、ほとんどが自分の内因的な要因によって自殺することになったわけですが、


ここで一度、自分が人生に絶望した理由、生きていくことが厭になってしまった理由をまとめておきたいと思います。



まず、(これはかなり大きな要因だと思いますが)恋愛面において全く喜びというものがなかったということ。


もともと人と接することが得意ではなかったのかもしれませんが、とくに異性との関係においてはほとんど発展的になることがありませんでした。


これは孤独を自分の内面に植え付け、やがてその孤独感すら感じなくなってしまうようになり、最終的にすべてに絶望するようになってしまったのだと考えられます。


つまり人から愛されたことがない、人を愛したことがないという精神的な欠如が自殺念慮の大きな引き金になっていたのだといえます。


周りの人たちはどんどん幸せになっていくのにどうして、自分はいつまでも同じ位置から動けないのだろうか?


むろん外見的な問題もあったのだと確信しています。


人の幸せというものは私にとっては残酷な刃でしかありませんでした。



次に、何かに打ち込めなかった、自分を形作る柱としての経験・体験を積み重ねてこれなかったこと。


人間の人格というのは、その人が続けてきたこと、してきたことによってできているのだと思います。


そのことを考えると私には何もない。自分がこの20数年で積み重ねてきたものはほんとに何もない。


この虚無感が年を経るにつれて強くなってきました。



そして、これも大きな要因としてあげることができるのは、このような自分のダメなところが少しでもわかっているのに、それを変えていこうとしなかったこと。


変えようとしなかったということは自分に責任があるわけですが、言い換えると変えようとするモチベーションが出てこなかった、そして仮にモチベーションがあったとしてもそれが長続きしなかった。


現状を打破する能力の欠如ともいえます。


勿論、自分の力だけでこの状況を打破するだけが方法ではないかもしれません。


人の助けを借りて、人から手を差しのべられて状況を変えることは可能なのかもしれません。


しかし、私には手を差し伸べてくれる人も、助けを求めれば答えてくれる人もいませんでした。


私は周りの人達のように経済的な支援をしてくれる親というものが存在しないので、生きていくために自分で自分の全てをマネージメントしなければいけませんでした。


そのような状況で自分の精神的なことまでも調整する余裕などなかったと思っています。



以上が自殺に行き当たった経緯です。


具体的な事柄を上げればキリがありませんが、結局のところ


「辛い、寂しいと感じながら毎日を生き、そしてこの先もそれが何十年と続いていくであろうことに耐えられない」


ということなのだと思います。






なぜ、社会・政府は自殺を防止しようとするのか。


日本の自殺者数は毎年約3万人だそうです(平成20年度は32249人)


しかしこれは死因が明らかになっている者のみで、変死などを含めるとその倍は自殺していると推定されます。


自殺者を年代別にみてみると20代から50代が多く、男性が約7割ほどです。


また20~35歳までの死亡原因の1位が自殺となっています。



これは労働力、生産力の高い年代を多く損失しているということを示唆しています。


社会的には労働力・競争力の低下を招き、政府としては税金を多く納めてくれる世代が少なくなるためデメリットとなるわけです。


経済的理由(借金)を苦に自殺する人も多いわけですから、お金を返してもらえない消費者金融などの金融機関もたまったものではないでしょう。


つまり,自殺者が増える→社会的に損失が生まれる→政府・社会としては困る→自殺を防止


という簡単な図式ができます。



ただ、ここで言いたいことは、個人レベルの価値観で考えると自死というものは必ずしも否定されるべき価値観だけでは語れないということです。


もともとこの地球上に決まった価値観などは存在しません。


価値というものは文明・社会・宗教・国家・メディアが作り出すものであって、絶対的なものではないのです。


例えば、宗教によっては神のために自死する殉教を認めているものもあります。


さらに今の時代は様々な価値観が混在し、またそれが許されるべき時代でもあると思います。


つまり自殺をただ単に「ダメ」なものだと規定してしまうこと自体に無理があるわけです。



価値観は押し付けられるべきものではなく、自らがその人生の過程において形成していくものであるべきだと考えます。


人が自死する理由は、自死する人の数だけ、その価値観の数だけ存在しているというのに、単に社会の損得のために「自殺、ダメぜったい」という画一的な価値観を押し付けようとする社会に疑問を感じてしまいます。


おそらくこれからも自殺者は増加していくでしょう。



医療技術が発達し、介護が必要となる高齢者が増加している一方で、少子化が進行し、社会的に生産力のある壮年層が自殺していくというのは何とも皮肉な状況であると言わざるを得ません