夕飯は鍋にしようと決めた昨日の夕方、鳥団子を買い忘れていたことに気づいた。


妻の財布をポケットに押し込み、雪の積もりはじめた足元に注意しながら、近所のスーパーに。


鳥団子をカゴに入れ、レジに向かう途中に「もしや」と思い出し、売り場の片隅の『雑誌コーナー』へ。


ありました。


芥川賞受賞作2作品を全文掲載した「文藝春秋」3月特別号。


べつに鳥団子と一緒にスーパーで買うこともないか。。。。。


・・・と思いつつも、この天候のことを考えると今、買っておくべきか。


どうせ、本はどこで買っても値段は同じなんだし。。。


そう、本って、どこで買っても値段は同じ。


わたしたちの身の回りに、こんな「商品」ほかにあるだろうか。


家電をはじめ、食料品に洋服、家具、文房具・・・・ちょっと思いつかない。


強いていえば、電車に乗るときの運賃(切符代)だろうか。


それにしたって、金券ショップに行けば、安いチケットが手に入る。


古本屋さんは違う。あそこで売っているのは、人の手垢にまみれた「中古本」だから。


来月、村上春樹の新刊が出るので、既刊本は30%offです・・・・・。。。


なーんて話、聞いたことがない。


そもそも、作家さんはなんのために本を書いているの?


もちろん、生活のために書いているということもあるわけだけれど、そもそもは自分の考えや思いを


伝える“手段”としての「本」であり、「活字」ではないのでしょうか。


極論をすれば、「本」は作者の考えや思いを読んでから、読者が値段を決めてもいい「商品」なのでは。


「本」にオープン価格を付けられない理由は、もういまさらここで書くことはしません。


わたしたちは、「紙の本」ではできなかったことを、電子書籍で実現すべく、今、動いています。


昨日、この春から大学生になる次男が、携帯の機種を 『GALAPAGOS』 に変更した。


縛りである2年間契約まで、あと3カ月残っており、解約すると約8000円の残金が発生する。


ところが、シャープの「販促キャンペーン」期間中で、10000円分の商品券がもらえる。


さらに、行きつけのSBショップも「切り替えキャンペーン」期間中で、3000円分の商品券がもらえる。


小学生でもできる引き算の結果、『GALAPAGOS』 へ機種変更をすることにした。



「スマートフォンは携帯電話ではなく、パソコンです」


と、店員のお兄さんに言われた。



家に帰り、次男はいろいろ試していたようだったが、やはり今までとは勝手が違うらしい。


次男はミクシーをやっているので、その設定を携帯仕様からパソコン仕様に変更したり、とか、


携帯のアドレスが簡単に貼れない(?)、など。


画面はめちゃくちゃきれい。 しかも、ゲームは3D。


You tubeでミュージックビデオを見たり、ゲームをよくやる若い連中にとっては最高の「オモチャ」。


どんな可能性を秘めているのか。


いろいろと「いじらせて」もらうつもりだ。

今週は、某ファッション系大学院の卒業イベントに携わりました。


「携わる」 といっても、ファッションショーや展示作品撮影時のディレクション(立ち会い)でしたが。



この某大学は、オーストリアにあるファッション系の大学と提携をしています。


なので、ファッションショーは、1/3が提携校の生徒の作品、2/3が自校の生徒の作品、という構成。



一人あたり約5分の持ち時間の中で、自身の世界観が衣服(ファッション)を使って表現される。


ステージ上を、その世界観をイメージする音をBGMに、衣装を纏ったモデルたちがウォークしていく。


そこに、己の世界観を説明する 『言葉』 は、ない。 


だから、ステージ上には 『国境』 がない。 


ファッションの世界には、『言葉』 も 『国境』 も、必要ない。


そして、作品の善し悪しを判断する 『基準』 も存在しない。


作品の善し悪しは、製作者の絶対的なゆるぎのない自信に裏打ちされつつ、受け取る側に委ねられる。



電子書籍の世界には、『言葉』 を扱うこともあり、明確な 『国境』 が存在をする。


さらに、その 『基準』 を求めて、それを見極めるために、右に左に、いま、大きく揺れている。



製作者の絶対的なゆるぎのない自信があれば、その評価は受け取る側に委ねてもいいのではないか。