吾輩の世を忍ぶ仮の姿において、双羽黒は初の「齢下の横綱」であった。
大乃国は初の「同学年の横綱」であった。
長く大相撲を見続けてきた吾輩にとって、横綱が同世代になることはかなりの出来事であった。
しかも双羽黒は当時の「史上最も身長の高い横綱」、大乃国は「史上最も体重のある横綱」、同世代の代表である彼らの類い稀なる『Bigな』素質に、「俺たちは何か大きく世の中を変える世代だ」と大いに期待していた。
双羽黒、北勝海(現・八角理事長)、大乃国(現・芝田山理事)が横綱となった頃、吾輩は当時連載していた大相撲の専門誌「VAN VAN 相撲界」で、ずいぶんと厳しい批評を彼らにしていたと記憶するが、それもそんな期待があったからこそであった。
 
残念ながら双羽黒は若くして土俵を去ることになったが、吾輩の彼の前途への期待は存続していたので、それを音楽でも描いた。
雑誌で対談し、TVやラジオで共演し、彼がプロレスラーに転身する際の「テーマ・ソング」をも手掛けることになった。プロレスラー北尾光司のデビュー戦、東京ドームは、吾輩が初めて東京ドームに足を踏み入れた日でもあったが、自作の音楽に乗って彼が現れた時、吾輩も興奮した。
 
吾輩とは会話の弾む人物であった。彼とプロレスの話はほとんどしたことはなかったが、大相撲については彼が土俵を去ってかなりの年月を経た…確か朝青龍の全盛期だから15年くらい前、つまり土俵を去って10数年後でも相撲論…例えば、立ち合いの技術の話で、自身が栃錦の春日野さんから教えてもらったことと相撲の一門での指導の違い、モンゴル勢の傾向などについて吾輩に熱心に解説してくれたことが今でも非常に印象に残っている。
今思えば、吾輩が故人と会ったのはその日が最後であった。
 
自分の世を忍ぶ仮の齢下が日本相撲協会の理事長となった八角親方の際も「時」を感じたが、ついに世仮の齢下の元横綱が鬼籍入りだ。
何でも「初めて」でも嬉しいわけではないぞ、と北尾に言いたい。
55歳。早い。
立ち合いの時の当たる角度、もう一工夫を求めたい。
 
ところで北尾氏の他界にあたり、約30年前に吾輩が雑誌「宝島」で連載をしていた時の担当者・町山君がコメントを述べている。
対談、そんなところでやったっけ?記憶にないな~。富士見小学校ってそもそもどこやねん1?
 
ではまたWebRock!