そう遠くない日に訪れる報せだとは思っていたが、現実にその時がやって来ると深い愁嘆を感じざるをえない。
吾輩が歴代横綱の中で最も深く関わりをもたせてもらった人物である。
 
大相撲での現役時代は、その緻密堅固な相撲ぶりと土俵外でのユニークな存在感のギャップがたいへんにカッコ良く、吾輩は大の輪島ファンであった、世を忍ぶ小学生低学年から高校卒業のころまでずっと。
吾輩は輪島や北の湖、貴ノ花を見ながら相撲の世界のいろはを学び、その魅力にどっぷりとはまっていった。
つまり相撲における吾輩の師匠であると言える。
 
氏が角界を離れ何年も歳を経た平成十八(2006)年ころからプライヴェートでの交流を持たせてもらうようになった。
何十回も食事の席に誘ってもらい、吾輩のコンサートにも来臨をたまわった。
10年前に吾輩が初監督として発表した短編映画「コナ・ニシテ・フゥ」においては、吾輩の世を忍ぶ父親の役を引き受けお子様たちとともに出演してくださった。
 
氏は歌を歌うのが大好きで上手であった。会席をともにした時は決まって『カラオケ』が締めになっていたので、吾輩は「久し振りに新曲を出しましょうよ」と言い続け、還暦を記念して氏に1曲贈答した。吾輩も氏もいつかそれを実際にレコーディングできるタイミングを楽しみにしていたのだが、そんな折に氏の喉頭がんが見つかった。
手術の数日前にも一緒に食事をしたが、その時にはカラオケには行かなかった。
手術後声を失った氏であったが、訓練すれば徐々に出るようになるということだったので、またカラオケに行けるように! と筆談で励ました。新曲も幻に終わり真に残念だ。
 
角界を去る際は色々とあって良く言われないこともあった氏だが、実際は人と人とのつながりを大切にし気遣い深く、気さくで明るい人柄であった。真の人物像を知らない憶測や誤解が多く出回っていたと感じる。
 
ここ1年くらいは「人に会いたがっていない」ということだった。闘病のためやつれた姿を見せたくないとのことだったので、吾輩も何かの誘いをしたりなどは遠慮していた。気にはしながら見舞状を出したりはした。
 
氏は9年前一月場所の「NHK大相撲中継」に、当時の北の湖理事長の取り計らいもあって解説者として出演され、長期にわたる角界との公式的な絶縁状態が解消された。その日吾輩も一緒にゲスト出演したのであるが、放送が終った後に氏から礼の言葉を頂戴した。相撲ファンとしての何よりの宝ものである。