この前、體の異変にやっと気づいて體をみてもらった時の

先生との会話を思い返してみると。。。

 

先生

「大きめの風邪ひいてましたね、

 ウィルスの影響が脳にいっちゃったとかもあるかもですね。

 頭と体も、ついでに心も酷使しすぎかもしれません。

 

 心当たりありますか〜??」

 

私「・・・あり、ます。」

 

心当たりがありすぎて、いくつかあげてみて下さいと言われなくて良かった。

ついでに、その後かなりの過酷な撮影旅も行きまして反省もいいところです。

 

先生「ちゃんとからだの声も聞いてあげて下さいね。」

 

っと、最後に言われて先生との会話は終わった気がするけれど

からだの声って、よくわからなかったな〜

 

なんとなく疲れた〜とか、お腹減ったとか?そんなことはわかるけど

それ以外のことに無頓着だったのかもしれない。

だから、異変にも「疲れてるんだな〜」で対処してしまったし。

でも、なんだかよくわからないな〜っという気持ちは残ってしまっている。

 

からだの声か。

 

これは、なかなかに表現も難しいと思ってしまう。

簡単な言葉の構成ほど、実は内側に含む複雑性とカオスに気づけない。

簡単に見える言葉ほど、実際に自分の中を通過するのに

今の自分の感度の差が顕著に現れるもののように思えるのだけれど。

 

さて、

今の時点での問題点はどこか?

からだの声か?

う〜ん、そうでもなさそうな気がする。

 

何かを考える時に、もう少し精度をあげたい時、深く考えたい時

なぜ?を少なくとも3回以上連続で問い掛ければ何かが見えてくることがあるのだそうです。

なぜ?の問いかけ自体の精度も必要だけれど。

まぁ、大体そんな感じ。

 

今回もそれを試してみると、なんとも全く違う答えにたどり着いてしまった!

 

頭で考えてる、もしくは表面的に見えている問題というのは

実は全く違うものから発生していることが大いにあるのだな〜

 

思いも寄らないことは世界中で起きてるんだろうけど

それはきっと、繋がりが見えていないから思いも寄らないと

思ってしまうんだろう。

 

もう少し、自分のからだも興味をもって観察することにしよう。

 

今のところ:さらに暗中模索

体感速度:0感キープ