「あら」
「…奇遇だな。」
香々背と朔姉妹がばったり出会ったのは、早苗町の駅前にある銭湯の番台の前だった。
「君らも入りに来てたのか。」
「ええ。こちらで柚子湯を行っていると聞いたもので。」
「折角の冬至ですので、入らなければ勿体無いと類が言うものですから。」
二人で交互に発言するこの独特の話し方も、もうすっかり慣れた。
「先生も柚子湯に入りにこちらへ?」
「ああ、まあな。」
本当は自宅で入りたかったが、柚子を買いそびれたのでこの銭湯に足を運んだのだ。
「そういえば、君らはどうやってここまで来た?」
「徒歩です。」
二人綺麗に揃った声に、香々背はぽかんとなった。
「…徒歩で?」
「はい。」
「君らの家、どの辺だ?」
「駅から歩いて15分ほどの所です。それが何か?」
暫し逡巡する。
この時間帯、この一帯で明るく人気が多いのは駅前と商店街くらいだ。
対して住宅がある場所は夜になると人気が消え、所々暗い場所もある。香々背の家がある場所のように田畑に近い場所に至っては、殆ど街灯もなく人気は無い。
果たして人気が無く危険な所に女の子二人を徒歩で帰らせることができるだろうか。答えは否である。
顔を上げると、二人はいつの間にか番台で勘定を済ませていた。
銭湯を出ようとする二人の背中に、慌てて声を掛ける。
「待て!」
驚いて振り向いた双子に、香々背は言った。
「家まで送るから、少し待ってろ。」

「申し訳ありません。無理を言っていただいて。」
柚子の香りがかすかに漂うワゴン車の車内で友が言った。
朔姉妹を乗せた香々背の車は、誰もいない住宅街をゆっくりと進んでいく。
ナビとなるのは助手席にいる類。彼女の指示に従いながら、香々背は車を進めていた。
辺りは静かで、時折野良猫が車の前を通り過ぎていった。
「いいよ。君ら二人をあのまま徒歩で帰すのは危ないと思ったからな。この辺り、夜は人気が無いだろう。それに暗いし、女性が一人歩きするには危険すぎる。」
「いざという時のために、護身用のナイフは持ち歩いていますが。」
さらりと物騒なことを口にした友に、香々背は眉を顰める。
「…やめておけ。人に誤解されたらどうする。」
機関の人間にとって護身用の武器を持つのは当たり前のこと。だが機関の存在を知らない一般人から見れば、それは間違い無く不審視され、そしていらぬ誤解を招くことに繋がりかねない。
故に、機関の人間は武器を持ち歩く時には注意を払わねばならない。
--一般人に溶け込み生活すること、それを維持するために。
「…」
「どうした?」
視線を感じてちらと横を見ると、類が香々背を見つめていた。
「変わりましたね。」
「…何が?」
「先生が。」
ああそこをまっすぐです、という類の声に従って、車を直進させる。
その合間、類の独り言じみた声が耳に入って来た。
「最初に会った時と比べて、丸くなられたと思いますよ。私達にもよく話しかけてくれるようになりましたし。あの事件の時だってーー」
不意に、ヘッドライトの照らす先に蔦の這う白い壁の建物が浮かび上がった。
「ここです。…先生、送ってくださってありがとうございました。」
「…ああ。お休み。」
お休みなさい、と同時に挨拶を交わし、双子はアパートの中に姿を消した。
二人の姿が見えなくなるのを待ってから、香々背は静かに車をUターンさせて来た道を戻り始める。
(…私は、そんなに変わったんだろうか。)
戸惑いながらも車を鈍々(のろのろ)と走らせる。
車内には、まだ柚子の香りが漂っていた。

Das Ende.