昨日と今日は、わずかな事に疲れ果てて、帰宅してから直ぐ昼寝する。2時間ほど寝て、何とかゲームくらい出来るようになる。昨日は、雨天予想の中を義母の納骨で、箕面まで出かけた。帰りは梅田まで出かけるが、家内の事をよく分かっていない者と同行すると疲れてしまう。長い距離を徘徊するなどは煩わしい事だ。

 今日は今日で、家内の通院する医院を新たに探して、これも雨天の中をタクシーで飛ばして行く。家内が不安にならないように、行きたい診療科目は全て通院させないといけない。医院にいる間や昼食時も、ひっきりなしに電話がかかってくる。市の介護課から、年金事務所から、消防署から消防検査について等、大事な話ばかりだった。それぞれ日程を決めて一段落した。

 今後、出来るだけ無駄な出費をなくして、健康で安全な暮らしが出来るように、考えていく必要がある。引っ越しも控えて、時期を待たないといけない。不動産が高額で直ぐに売れる訳でもないからだ。また、無駄な引っ越しを何回も繰り返す訳にはいかない。

 

思い

 年を経ると、馬鹿らしいような思い出が次々に去来して気持ち悪くなってくる。何を、あれこれ言ってみても、やってみても歴史に何か残って行く訳ではない。出鱈目と虚偽の中で生きていたというのが、凡その人達の本当の姿だと思える。己を少しでも高く見せる為に、他人を悪し様に扱い貶めて平気だという者が一杯いた。

 自分が経験していない事でも、クチバシを入れるというのが凡そ人のする事だった。絵なんか、それこそ誰でも何か言ってくる分野になる。上下や高低の基準が無い。世界がいくつかに分かれていると、それこそ高低の判断がつきにくい。無茶苦茶とも言える世界である。世界そのものが出鱈目としか言いようがない。

 美術教員で、絵を描く者は驚く程少ない。それは他の教科でも同じであって、理科の教員が何か発明するわけではない。はっきり言えば、美術では素人紛いの者が学校で美術を教えていることになる。一体、何も無い者が年を経ると、何か出来ているだろうか。口先だけで生きていた者が年を経ると、もはや悪口を言う場所も無くなって、気に食わない者に対して、せいぜい小便か唾を引っ掛ける事しか出来ないだろう。だから、その馬鹿野郎に時々、本でも絵でも活動の案内状を送って殴りつける代わりにしている。

 思い出すだけでも、極めて心臓に悪いことだ。

 カスみたいな親を持つと苦労させられるが、いなくなって落ち着いたと言える。親も近所の者も、学校の教員も皆カスだったと追想している。今の世界の者にも、カスが多いと思う。どこそこの大学まとめて皆カスだと思う事もある。

 カスがカスだと自認するまで、研究を追求していく必要がある。口先とか学歴だけの者に、鉄槌を下していかないといけない。甘い事を言っていてはいけない。これは殺し合いなのだ。刀を理論に変えて、突っ込んで行くのだ。

 

瀬戸S

 他のメーンレースの前座で10レースにあったものがメーンレースになる。こういうレースは不安定で分からない事もあるだろう。

 体調の加減もあるので、来週の土日6開催の全てを調査するのは骨が折れる。