昨夜、寝ている時も宝塚記念の馬券の構想が浮かんでいた。こうなるのではないか、と思うと自信が深まっていく。朝方は、昨日調査出来なかった東京開催を終わらせた。

 朝から天候不順なので、三宮国際会館に出かけて、買い物やランチを済ませる。

帰宅してから少し早い気もしたが、7・8レースから予想し始める。

8・9・10レースと連勝して、資金が減っても直ぐに回復していく。最近のロジックがそのまま有効に機能している。分からないのは、変わり始める10~11レース以降で、それは9レースまでと様相が異なる。まるで、根っこから成長している植物が最後に上で花を咲かせているように見える。それまでの方式が通用しなくなる局面が現れる事がある。

 

 

 宝塚記念

 このレースの理解は難しかった。終わってみると、記者や予想プロの予想は全滅だったと思う。結局、3678枠の出目で獲れていただろうが、今のロジックで3連系の馬券を思い切り購入して敗れた。そこまでに勝っていなければ、3連系馬券を3万円近くも買えなかった。4レース目になると、頭が働いていないのかもしれない。野球の投手の球数制限のように、もっとレース数を絞る必要があるのかもしれない。最大4レースまでだろうと思う。

 

最終12レース

 東京12レースは馬連で買えば勝てていたが、3連系で失敗した。

京都の12レースは、ありうる変化で3-1-15番人気だった。点数を一杯買えば当たるだろうが、既に宝塚記念で失敗したので、手が回らない。

 

 

 勝って、お金を残したいなら、難しいレースを避けて10レースで止めているだろう。そうではないのだ。11レース以降の取り組みを研究する為には身銭を切って対処しなければ分からない。実験で失敗してこそ、何とかなるものだ。損をした金は、当てて得られたお金だから、損失感は無い。3連系の馬券となると、点数が増えるので、失敗すると目も当てられないが、これは研究なのだ。おかげで見えてきたものは一杯ある。3連系に固執せず、馬連やワイド馬券も多用して、取り組み方を考えていく。

 失敗すればするほど、執筆・研究は進む。難しい、勝てないからと言って、避けて逃げていたのでは永遠に分からないのだ。

 願望を押さえて、もっと冷静冷徹に目を凝らして馬券を考えないと駄目である。

 最近は少なくなってきたか、現れなくなっているが、他人の馬券や予想に断りもなく文句を言う無粋な者がいるだろうか。そういう人の為に予想しているのではない。来てもらっても、何も得られないです。

 金も払わずに、予想に乗って勝てなかったからと言って怒っていた図工の教員がいたな。勝つ事なんか約束出来ない。勝てば勝ったで、俺がいたから勝てた等とアホを言う輩だったので、勝ちに行かなかっただけだった。馬券のマークシートの書き方を教える段階では、閃きの部分は出しにくいものだ。あれもこれも言われても、どうにもならない。

 その場限りの事で、美味しい汁が直ぐに吸える等と勘違いするようでは困る。とかく競馬はアホが集まりやすい。

 いや。教員というのは、そういうボケが多い。油絵・額をもらっても代金を支払わず、その後平気で文句を言い喧嘩腰でかかってくる女教員を何人か見てきた。喧嘩した相手の絵なんか飾って何が面白いのかと今も思う。男性教員でも、無料で持っていけるものなら、機会を伺って持って行こうとする者を何人か見た。