生きて行くという事は、色々な煩わしい事を重ねている。年を経ると、それらが何時も蘇って来て苦痛に感じる事が多い。悩まないように、相手をその都度蹴とばしておけば良かったと思うのだが、あまり出来ていない。出来ていないまま死なれてしまったケースが多い。

 残念な事や後悔する事を思い出す時がある。道行く可愛い小さな子を見ると、色々な失敗を思い出しては苦しくなったりする。仕方無かったではないか。子どもは可愛くても、母親には随分嫌な者が多かった。お前らが出てきたら興ざめなんだよ。子どもの思い出なんか無くなって、お前ら婆しか思い出さなくなったら、もうそこで終わってしまうのだ。お前らの子どもなんか見れるか。勝手にしやがれ!で、お休みになってしまったりした。

 拙者にも言い分は一杯ある。一杯あるが、それらを思いだして自己弁護しよう等は思わない。憎しみを増幅させる為に本を執筆しようとは思わない。忙しいのだ。1日2~4時間しか働けない中で、する事は山のようにあるし、勉強したい事も一杯ある。婆のアホをいくら書いても、何の役にも立たない。他の者に対しても、悪意は一杯あって殺意さえ持っているが、実行するのは難しい。外国人を大金で雇えれば可能な気はしているが、そんな事するくらいなら、駅前の億ションでも買うだろう。

 競馬研究で、図表の1枚でも追加して書く方が、よほど世の為人の為になっていくだろうと思う。万馬券の1本でも成功させれば、あいつらの記憶なんか消え去るだろう。テナント入居の準備を滞りなく済ませる方が意味深い。また、少しでも引っ越し準備で、段ボールを作る方が己の為になっている。

 拙者が、彼らを批判して何かを蒸し返しても一銭の得にもならない。また、彼らも今更拙者を批判したりはしないだろう。だからこそ近辺で油絵個展でも開催して時の声を上げる事に意味があるだろうと思う。互いに理解し合えれば幸いであるが、出来るとは思えない。