拙者と同じような年代の人が犯罪で捕まっていた。随分老人染みた人で、とても同じ年代とは思えなかった。それだけ拙者が若々しいという事だと思った。

 朝から室内の片づけを行い、ビル管理に出かけ、直ぐに舞い戻って買い物や片付けを再度行う。

 

考察

 何十万円もの3連単馬券を毎週逃している。何故か分かっているが、あえて避けてしまっている。これは心がけの問題なのだ。資金を守ろうという姿勢では、大きな見返りを望めない。負けた時に、それを取り返そうと焦る程,更に負け続けるものだ。

 元より、競馬で勝とうとか稼ごう等は考えない方が良いと思っている。お金が惜しければ、競馬なんかする事はないのだ。博打に手を出して、損をするのは嫌だというのは正しくない。損したくなければ、博打なんかする必要はない。些少なお金を稼ごう等は考えない方がいい。お金が欲しければ、全うな仕事で稼ぐ方がいい。

 そうではないのだ。競馬は夢であり、ロマンである。どこまでも勝負して、逃げる事なんか考えない。勝てば、更に突っ込んでいくまでである。勝って、勝ち逃げするようなセコイ事ではいけない。勝ったお金は気前良く、更に増やすか0になるかまで勝負するのだ。

 何回勝負しても、更に勝てるように研究すればいいだけの事である。レースを怖がって逃げるのが姑息で負け犬みたいで嫌なのだ。勝負すれば負けて、勝った事はたまたまの偶然ではいけない。

 勝つ事は必然であり、当然の勝利だと言えるまで研究するがいい。

万馬券を常時当てられるようになり、100円が3,000倍で30万円となり、1,000円だと300万円になる。10,000円だと3,000万円になる。そういう夢を描いてこそ楽しくなるのだ。それでもって、もう一つビルを作りたいのだ。何億儲けるのに、わずか数万円を惜しんでなんかいられない。

 体力を考えて、短時間の勝負に限定すれば気持ちも楽になる。

 

世間のPIC OUT

 何事でも他人を批判がましく言う人達が大勢いる。知らない事でも、知ったかぶりして相手に対して色々批判して恥じない。手っ取り早く格付けするには、学歴が便利だと思って、学歴のみを重視して恥じない。油絵を描いた事も無い者が、偉そうに美術を語る。名前等どこにも出た事もない無名の者が偉そうにする。死んでしまえば何も残ってない者ばかりだ。無益で無駄な人間の何と多いことか。

 所詮どんな事でも誰でも、世界1・日本1ではないので、何でも言えてしまうから批判した者の勝ちになってしまう。油絵で公募展に入選したり受賞するのは大変な事で、誰でも出来る事ではない。それでも、位を極めた画家であっても金銭的には恵まれない場合もある。そういう人を知らずに、いい加減な気持ちで語るような人は相手出来ない。

 そういう事が嫌なので、競馬を研究してきた。しかし、競馬で万馬券をいくら獲っても自慢にはならない。マンションとかビルなんかを購入すれば、一応の成功者になれる。そういう事でしか、他人には話せないのだ。競馬なんか話にならない。誰でも皆が、競馬には勝てる方法等無いと思っている。あえて、そういう普通の人を相手したり、説得したりする必要は無い。出来るだけ誰にも知らせず、自分だけが巨万の富を稼げばいいと思う。誰が競馬で稼いだと言うか。会社経営で稼いでいると言うのが世間体がいい。

 しかし、著書販売となれば、競馬でも通用するだろう。己の事であくせくせず、大谷選手のように病める人・気の毒な人達に優しい眼差しで見られる人は褒められる。一方で、拙者みたいに何か不足していて病んだ者を、PIK OUTする輩は大勢いた。無益な輩は死んでも構わないと思うし、憎しみにかられて,何時も殺したい思いにかられるが、無駄な事だ。

 なるべく、嫌な人には出会わず話もしない。それでいいではないかと思う。働いていないので、それは許されるのだ。