朝方は、少し元気で片付けや著書執筆に精を出す。ドコモや銀行及び買い物に9時頃から出かける。銀行周りが3か所あり、ドコモで操作方法を色々聞いて、ホテルで食事をとる。

 買い物をして帰ると未だ13時を回っていないが、すっかり疲れてしまって17時頃まで麻雀ゲームをしたり、転寝している。疲れ方が尋常ではないのだが、用事が目白押しである。こんな事で、粗大ゴミを出す来週月曜日に間に合うのかどうか心配になってくる。どんどん捨てていかないと引っ越し出来ない。

 勢いよく著書を執筆している。己の考えやファクターを練っていると楽しくなってくる。これが金科玉条の最終理論なのだと確信を強くしている。言ってみても始まらないので、その証明を馬券でしなければいけない。

 

 以下は執筆中の文章の一部になる。

 

1 ファクター相互の問題

 事は競馬だけの話ではない。何事でも、己が存在する為に他を切り捨て、台無しにする者が存在する。自分の声望の為には、伸びて来る若い者の芽を摘んでいるとしたら、恥ずかしく呪わしい事である。己の為には、相手を滅さないと己が立ち行かないと感じる人は少なくない。自分が努力すればいいだけなのだが、己の立場を脅かす者は恐怖されるが、小さい話である。

 とかく、何かと生きて行く事や働く事は難しい。同じ部門で自分と何か違う優れた者が出てくると、己の立場が危うくなるのではないかと不安に思うものだ。それで過剰に反応する場合は、周囲の共感を得られないものだ。

 だから、そうやって競馬においても淘汰されてきたものがあり、互いの権益が衝突し合っていると考えられる。

 何でも言える事であるが、ただ己の利益の為だけに行動して、全体の発展を願わない者は困った事である。世の中は、そういう悪質な組織や個人が一杯で、発展を阻害している。

 

せせこましいくだらない世間で生きてきたが、競馬研究は楽しいものがある。馬券を買う限りは、実入りが良くて楽しい事が無いとやってられない。

 油絵を描いていた旧知の人達は、相変わらず貧乏していて、少しも嬉しく見えない。そのへんのつまらない人達を相手しているから、自分達もつまらなくなるのだ。あれは、一体何だったのだろうと今更思ってしまう。無いお金を無理やり散財するものだから、貧乏が更に貧困状態になっていく。お金が無いのら、棒で地面にでも絵を描いていればいいのである。しょうもない賞や入選なんか重ねている場合ではなかろう。まず、お金を何とかしてから、楽しく絵を描けないのかと思う。

 競馬理論で秘伝・奥義を窮める事こそ最高の喜びなのだ。必ず、これを証明してみせる。内容は公開しないかもしれないが、馬券で証明してみせる。

 何かで偉そうにしていても、お金の前には誰もが頭を下げる。わずか数十万円で下げる頭なんか卑しい限りである。偉そうにしている野郎の頬っぺたを札束で張り倒したいと思う。

 

東京:欅s 出目解析