未だに競馬が廃れずに、何百万人という人達が夢中になっている。競馬が分からないままだから、夢を描く人たちが大勢いる。しかし、この分からないという均衡が崩れた時にどうなるのかは、想像できない。

 競馬が分からないというのは、何も確定した事が無いからだと考えられる。

 昨日の東京10レース等は新聞論調が1番人気10番・ハーツコンチェルトが固いと書いていた。拙者のデータベース検索でも、1-2番人気の連複確実と出ていた。それでも1番人気は、まだるっこしい走りをしていて、結局3-4-2番人気で入ってくる。その人気順位は拙者の人気の出目で出ていたものだった。迷いが多くて、良いものを選べていないのだ。記者の言う事は当てずっぽうであり、オッズを運用したシステムは的外れである。

 そういう経験を通して、ファクターやロジックを取捨選択している。それでも、データベース検索は一応少しだけやっている。新聞を読み込む事は無駄である。プロの予想なんか見ていられない。しかし、一応新聞は買っている。彼らの予想から、どれだけ離れて行くか見る為である。

 3連系馬券なんか難しいから、複勝等他の簡単な券種で勝負する等ではいけない。競馬に分からない事を作っていては手が臆病にならないか。また、大きなお金を使うのは破綻の元である。ローリスクハイリターンでなければいけない。

 競馬で確実なものはある。それは、人々の目の前にあるのだが、誰も気がついていないだけである。今後おそらく、永遠に隠されたままだろうと思う。拙者は著書を執筆しているが、果たして公開してよいものかどうか迷う。

 言おうとしている事の正当性を証明するには、数多くの馬券証明が必要だ。競馬が楽しく思えてくることが大切で、その為に研究しているのだ。