競馬は勝った時の事だけ考えていたらいいのだとは、かのベイヤーが言っていた事である。指数はともかく、全米各地を転戦したベイヤーはオモロイ野郎だと思っていた。言う事も一端の勝負師風情で夢とロマンを感じさせられた。あれはアメリカだから本が売れたと思っている。向こうは人口が多くて、チャンスが大きそうに感じる。
しかし、拙者の場合は負けた時の事など忘れはしない。何故そうなったのか絶えず追及している。
競馬はサイン曲線のように様相が上下左右に振幅しながら、その日その時様々な姿を見せていく。だから、同じスタイルの馬券術が通用しなくなっていく。何か「場」とも言えるような様相の違いがあるのだと、以前から漠然とではあるが感じていた。
即ち、枠番の出目があって、一方では人気の出目ともいうべき様相がある。また、能力値で決まるようなレースも確かにある。その能力値の捉え方は、今のような指数とか血統論ではないだろう。昨日の競馬は、枠番のグループで考えるには無理な様相を示していた。
昨日の競馬
まず、中山競馬は1から9レースまで、やけに1~4番人気の連複が数多く見られた。それらをワイドか馬連で買えば、全て連続して的中出来る様相が続いていた。そして、スプリングSのあった日の過去の1~12レース全ての成績表を見ると、やはり1~4番人気の傾向が強い事が分かる。黄色で表した部位が人気の出目の箇所である。
中京競馬もまた、
4~9レースで、1・3・6番人気の連複で連続していた。その期間は、枠番のグループ枠で考えられる出目は出現していない。阪神競馬だけは枠番の出目が連続していた。7レースだけは直に本命1-2番人気が直結していた。この阪神7レースが狙い目であるべきところ、そこまで気が回らなかったのが落ち度であったと思う。
反省して、律すべきところは律して今後の対策にしていく。修正すべきは修正してレースに臨むのである。
競馬はいいものだ。勝てば、誰に文句を言われる事なく、己の糧にすることが出来る。誰に対しても、自慢したり話したりする必要はない。
最近、体力の絶えを激しく感じている。もはや、長い時間競馬予想するのは無理だと観念している。勝った時のイメージと作業と状況を記録して定番化して、今後の糧にしていく。こうなればこうなるのだと言うロジックを立てて、それに基づいて勝負していく。1点集中で馬券を突き詰めていくスタイルを求めて行くのだ。
誰か反発して文句を言いたいなら、ここに来なければいいだけの事です。指数とか血統とか己の信じる事に必死なお方には、拙者の言葉も思いも届かないだろうと思う。
絵の世界
対して、絵なんかは、たとえ中央で受賞しようが、いい絵を描こうが誰かに認めてもらわなければ、食べるのも困ってしまう。お金を欲しがって右往左往することが、既に惨めなのである。食べるものにも事欠く哀れな人生だった人を何人も知っている。わずかな酒を飲む為に悪事を働き、暴かれて墓穴を掘っていた馬鹿野郎もいた。
