惨めな人生
何がどう惨めであったのか。先祖まで考えて分かってくるものがある。20歳までは知らなかった事で、全て後で聞いて分かってきた事が多い。体質と環境と境遇の全てが、悲惨な運命を示していました。詳しく書くのも憚られるので控えますが、誰もが同じではない。祖先の代から、山育ちだと肉食しないという体質がある。隠れていた心臓の病は、どことなく現れていて、酷い車酔い等があった。弁膜症の子は、どことなく口から泡を吹いたような感じで大人しい所があって、他人から見ると攻撃されやすい所がある。
小学校4年生だったか、当時の砂川という女教員は著者と朝鮮の子の頭を鷲掴みして頭をガチンコして遊んでいました。どちらも顔色が悪く朝鮮人にでも見えていたのかもしれません。何故そんな事をされるのか意味も分からず、今なら大問題だろうし、不登校になっています。
ここと言う時に元気も勢いも無いので、怒り方は急なものになりやすい。今でも斧を隠し持って、突然相手の首を後ろから突然斬るという思いに駆られる事がある。探している相手もいるけれども、中々見つけられない。他人と接していると、身体の疲れを訝しく思われやすい。他の人と違うのだという事を、衝撃的に知る事になってしまう。
全てが、こんな調子だから周囲からの理解を得にくい。多分どこまで行っても、他人から理解されにくい。息が切れているので、余計な無駄話なんかは出来ない。争う事も疲れて、理解してくれる相手でないと長続きしない。からかったり揶揄したりする人とは同行出来ない。
年をとれば、懐かしく思える人に出会いたいと思う時がある。ところが、相手はそのように思っていない。出会いたい等と言う気持ちすら持ってはいけないのだと思う。
絵画
絵などは、本来余計なもので、元々必要でなければ誰も買ったりしない。特別気にいられた絵でないと買われないものです。そんなものは推奨されもしていない。子どもで絵を描くのが好きだと言っても、それは夏に蝉取りをするのと同じくらいの意味しかない。遊びであって、余計な事でしかない。そんな道に進んだものだから、余計に悲惨さを実感しました。絵は売れず、売れても他人の懐にお金が入り、買っていた額縁を何枚か持っていかれてしまう。持っているお金や、貰ったお金も誰かに盗られてしまう。踏んだり蹴ったりで、ついに絵の団体や展覧会を諦めてしまう。
絵の世界にいるおっさんというのは、自分の好みや訳の分からない尺度で若い者を判断します。選抜展等と言うのは、その最たるもので、学生の時も大人になってからの物も意味が分からなかったです。後年著者が地域の油絵で受賞しても、選抜されていた者は全く音沙汰無しです。描けないのですが、そんな者が少しの付け届けで教授のお気に入りになるという始末です。油絵等は、ちょっと学校で勉強したくらいでは描けないものです。その教授すら、たいした油絵を描いてないのです。学校美術等と言うのは、嘘の塊だと判断します。
著者の家は貧乏で、親父は日雇いを長く続けていたし、母はつまらない仕事しか出来なかったです。日々食べるのが精一杯だったので、付け届けなんか出来ないです。
競馬
無理な所で頑張っても疲弊するだけで馬鹿らしい事この上もありません。中央展や日展で楽に行けた人は審査員の子どもであったりしました。やはり心臓に難があったので、疲れる所や息の切れる所は無理でした。
邪魔をされ、妨害され、伸びて行く道を閉ざされた事によって、競馬研究に邁進してきました。これは、未だ未解明な所で、親父が遊んだ場所でした。生きているうちは、ただの一度も旅行とか飲食に連れてもいかず、一人で競馬している馬鹿なおっさんでした。どんな思いで競馬していたのか。負けても負けても日曜日に、お金を持ち出して帰ってから何時も夫婦喧嘩で皿を飛ばしている基地外みたいな家でした。
今の仕事に邁進して、全て忘れるくらいでないと生きていけない。
競馬も絵も無くなってしまえ、と何時も思うのですが無くすのは大変な力が要ります。競馬という汚いドブみたいな所に見事な花を咲かせようと思い立ちました。
少し気分や体調も良くなってきたので、競馬予想の作業を早く進めました。調べると、函館競馬に興味深い揃いがあると思いました。