月1回の散髪をしている最中に病院から電話がかかってきます。明日無事に義母の人口呼吸器が外せそうだというものでした。あんな状況から蘇るとは驚異的な生命力で驚きました。もう、私の方が先に死ぬだろうと観念しました。

 高級店でテンプラ料理を食べ、ホテルでデザートとコーヒーを飲食して買い物して帰宅します。 

 

金杯から宝塚記念まで

 散髪屋で人と話したせいか、第3巻の執筆に普段になく意欲的になっていました。中抜きするような人種的特徴について話していました。

 第1巻はランキングでも良い成績で、何よりコンピューターサイエンス部門で出色なのは満足しています。しかし、データベース馬券術というのは第2巻の出目表に比べれば急造の理論で、根拠には限界があります。表紙次第だったのかもしれないですが、第2巻の「出目とパターン」の方が実は競馬の本質に迫っていて、革新的な内容だと思います。

 第3巻は第2巻の後編で金杯から宝塚記念までをフォローしています。ただ、身体の調子が万全でないのか2日分書きあげると疲れてしまって眠気を催します。1~3月が終わって、ようやく4月の研究に入りました。それに加えて毎週の競馬予想は疲れるものがあります。身体が万全ではないので、競馬関係の一切のお付き合いは遠慮しています。また、無駄な討論・議論も遠慮しています。コメントとかプレビュー等余計なものを書こう等と考えないでください。意見したければ、私の口座にお金を入れてからにしてください。

 

勘違いされる人

これらを本にしようと思うと、更に何百万円もかかります。それだけ苦労しても、暴くような勘違い君が出没しては疲れるばかりです。そういう人の為に苦労しているわけではありません。また、作家を食い物にするような出版社の社員の為に苦労している訳でもありません。競馬は、たいしたお金も払わず作家に大層な要求をするもので、満たされなければ怒りまくるという場面があります。それは競馬予想でも一緒で、外れれば怒りまくります。作家にしても予想家にしても、必ず的中する等と言う約束はしていないはずです。それを買う人の自己責任でしかありません。

お金が儲かる等という事は一切保証しておりません。競馬に見られる現象の不思議さを解明しようとしています。良心的な出版社を探すしかないですが、本等は出版社を介さずに自費出版してAmazonで販売することもできます。

 

生きている証として

 この世に生まれて生きた証として著述しています。いわば遊びみたいなもので、これは絵を描く代わりの仕事みたいなものです。ここに何回も書いていますが、絵を描けば代金を猫ババするような校長もいました。校長と言う役職からしてそうですから、そこらの出版社なんかに期待するのは無理です。そういう人の為に材料費を使って苦労して描いているのではありません。中抜きするような種類の人間がいるのは競馬も似たようなものですが、本とか電子図書は絵と違って邪魔にはならないものです。難しい感情かもしれませんが、絵を描く人たちの馬鹿らしさを否定する手立てとしてアンチ芸術として、競馬に取り組んでいるようなものです。競馬というだけで、コンピューターサイエンスにも片足を踏ん張る姿勢が分からないような出版社は願い下げです。それを偏見と言うでしょう。だったら競馬の本なんか出すな。近くにその人がいて、カメラが動いていなければ背中を蹴飛ばして背骨を折ってやりたい気分になります。