今日はイヴと言う事で、ホテルでのランチを予約していたが、家内の不調でキャンセルした。天候は雨、銀行には行けないが、皮膚に痒みがあるので医院には行かなくてはいけない。
研究
これまで、多くの人々の思いに遠慮して憚っていた事が多い。競馬の研究を進めて、その終盤にさしかかって確信を強める事がある。あれは、40年以上前だったが、馬券予想を始めた時は、様々なファクターに迷う時があった。当時、一体何を基軸に考えればいいのか判然としていなかった。
オッズ
オッズを調べて、オッズの値や人気順位から馬券を獲れるだろうか。オッズは、決めつけてこうだとは断定出来ない。むしろ、人気順位だと思うのだが、それも固定的に考えられるものではない。
タイム
速い馬が勝つと考えるのは当たり前と思えるが、それも絶対的ではない。そのレースの距離
を走っていない馬もいるし、地方競馬のタイムは中央と同じとは言えない。1頭の馬は、同じ距離でも同じような速さでは走っていない。タイムだけで一様には言えないし、絶対的でもない。
上がり3ハロン
このタイムも、一様には言えず絶対的ではない。
血統
血統は、競馬新聞の記者が特筆して注意書きしているので、あえて調べる必要を感じていない。あれは、馬を個別に論じている作業なので、連複馬券を導けないだろう。
指数
これだけだと嘯く馬鹿をよく見かける。気持ちは分かるが、そんなタイムの偽物で競馬
を論じても虚しいだけ。
展開
これほど虚しい取り組みはない。己が馬になって走っているかのような口ぶりで、大衆を混乱させている。
プロの予想
ワイド1点でも、何時も外して恥を晒している奴がいる。さぞかし、家では嫁も子供も
泣いているのではないか。あんなもので飯を食らっている等は、偽善者か犯罪者か。
知られているロジックは全て、些少な事を言うものばかりで、不確定要素が多いと
批判されるものばかりだ。何故、人々は絶対的なものを求めるのか。それは、安易に決めつけた考え方をする人が多いからだ。例外や特例を認めず、また実際に考える事なく、固定的・絶対的に見たり考えたりする事を好む者が多い。外見や集団で考えてしまう人が多い。馬券理論と同じで、馬鹿とボケばかりだ。
美大出身者が、良い絵を描く等というのは錯覚であり、間違った認識だ。ゴッホなんかは、何も美大なんか出ていない。実際を見ず、ただ外見や出自だけで考えていては、肝心なものが見えなくなってしまうだろう。どこを出ていようが、その後に何年も何十年も努力しないと、いい絵は描けないだろう。そこを出ただけで、絵が売れる訳ないではないか。それが出来ると思うなら、虚しいだけである。絵は売れず、乞食同然の生活があるだけだ。今時、絵なんか描いて生活出来ると思っているのかいな。
競馬は実際であり、現実であり、真実である。虚偽の事では理解出来ない。そんな簡単
で安易な考え方で、馬券は自在には獲れないろう。



