個人用途の新速記法 EPSEMS(エプセムズ) -2ページ目

個人用途の新速記法 EPSEMS(エプセムズ)

 草書派理論(CURSIVE THEORY)に基づく
  日英両言語対応の手書き速記法

田鎖系折衷派速記法のごく初歩的な書き方で 宮川香山(初代) 2026年4月27日


◆速記符号化した文章の出典:2026年4月27日の日本経済新聞(非営利目的、著作権を尊重し引用) 


--------------------------------------


2026年4月27日の日本経済新聞より 文化 十選


はじまりの横浜 (3)

宮川香山(初代)「高浮彫牡丹に眠猫覚醒蓋付水指」

小説家 永井紗耶子


明治時代初期の横浜において、輸出の主力商品となっていたのが、美術工芸品であった。幕末動乱の中、生き残りの道を模索していた工芸作家たちも、新たな市場を求め始めていく。

宮川香山(こうざん)は、京都の陶工であった。海外交易をしていた薩摩の御用商人に見込まれ、横浜の野毛山に窯を開いた。当時、横浜では海外輸出のため、「横浜絵付」と呼ばれる陶磁器が流行。香山はそんな中で、独自の表現を模索し、作品を創り上げていく。

本作の蓋部分には、今にも動き出しそうなほどにリアルな猫が。そして本体部分には、浮き上がるように表現された美しい牡丹(ぼたん)がある。この造形こそ香山の代名詞「高浮彫(たかうきぼり)」である。

装飾的な花鳥風月を取り入れ、華やかでありながら、全体の統一感と品を感じさせる香山の作品は、1876年(明治9年)のフィラデルフィア万国博覧会と、2年後のパリ万国博覧会にも出展。日本陶磁器のクオリティーの高さが認められ、賞を受賞する。

国内では、96年(明治29年)に帝室技芸員に任命され、名実共に日本を代表する陶工となった。香山の窯は「眞葛焼(まくずやき)」として、その後も続き、明治時代の貿易を支えた。(19世紀後期、高さ29.7センチ、口径16.3センチ、底径14.6センチ、田邊哲人コレクション、神奈川県立歴史博物館寄託)





----------