Facebook 「Sam-Boualam Caille-Cagée」より シェアします・・・・・・・・・・・・

伝えたいことはほとんどTwitterの方でやりました。 
今この時間(夜7時)にもパリ市民たちが寒い中(気温3度)レピュブリック広場に集まって無言の抗議集会を行っているようです。私は今夜は行けませんけど土曜日の市民行進には参加するつもりです。 

ことの重大さは「イスラム」とは全く関係がない。 
私たち(この場合フランスに住む私たち3人の家族と限定されるかもしれません。私はあなたたちも含まれると思いたいです)が信頼していたこの共和国のヴァリューの問題なのです。 

風刺週刊誌「シャルリー・エブド」はどぎつくグロテスクなイラストと論調で、世の権力すべてをからかい、おちょくり、揶揄し、読者を笑わせてきました。あらゆる権力&あらゆる愚かさを笑うことを良しとして、そこにはタブーはありません。国内外の政治家、国家元首、著名人、宗教的指導者、アラブ人、ユダヤ人、フランス人、ベルギー人、スイス人、アフリカ人、アメリカ人、アジア人、ホモセクシュアル、ヘテロセクシュアル.... すべてを笑いのタネにしてきました。事件の報道でことさらに強調されている預言者マホメット(.... 私はムハンマドなどというカタカナ表記はしません....)のカリカチュアですが、ユダヤ教、キリスト教も同等にどぎつくバカにされているのです。つまり神をも恐れぬお笑い作者たちなのです。 

ここで、この週刊誌が「イスラム教を信仰する人々の気分を害した/傷つけた」として、このテロをある意味で「理解」しようとする人たちがいることに私は驚き、私は声を大にして「理解してはいけない」と言いたいのです。 

言論やその他の表現によって不快を感じた、傷つけられた、信じるものを冒涜されたと感じた、ということは公の場で抗議し、撤回・訂正と謝罪・賠償を求めることができるのです。これがこの共和国にあるルールです。実際「シャルリー・エブド」誌は、これまでに何度もその表現内容によって訴訟沙汰になっています。裁判はそこで、この表現は許されるのか否かの決着をつけ、勝つことも負けることもあります。これが私たちが信頼している Justice というものです。このルールに従う限り、私たちは最大限の自由を享受することができるのです。 

このマホメットのカリカチュアの訴訟はグラン・モスケ・ド・パリ、フランス・イスラム団体連合(UOIF)、世界イスラム同盟の3団体から起こされ、2007年3月22日パリ大審裁判所はシャルリー・エブドと漫画家カビュを無罪としました。共和国のルールではここで一件落着なのです。 

しかしいやがらせやサイバー攻撃は続き、2011年11月には、夜間に編集部に火炎瓶が投げられ、社屋を全焼するという事件が起きました。以来同編集部および編集長クラスは警察の護衛警護がつくようになりました。 

それでもシャルリー・エブドは全然ひるみません。これを「挑発」と言う人もいるのですが、私はそうは思いません。テロリストに対して「やれるものならやってみろ」という態度では決してない。この共和国の自由はこれができるんだ、ということを示し続ける使命がこの人たちにはあったのだと思うのです。 

テロリストたちは今日「われわれは預言者の復讐を果たした」「シャルリー・エブドを亡き者にした」と言い残してその場を去ったと報道されました。私はこれは理解のしようがないではないかと思うのです。表現者たちを、その表現が彼らの信ずるところに反するという理由で殺害してしまう。私はこの国の大多数の人々はこれを理解しないと思っています。しかし理解する人は公の場所でそれを言えばいい。議論はできるはずです。それが共和国のルールです。破壊したり殺したりということを許してはならない。 

私たちは人を不快にさせたり、常識的でなかったり、突飛だったり、嫌悪感を起こさせたりする表現を経験しているではないですか。フリー・ジャズやパンク・ロックだってそうだった時期があったはずです。私が数日前から俄に話題にしている今日発売のミッシェル・ウーエルベックの小説だって、大いに人々を不快にさせるものかもしれない。しかし、それを理由に人を殺すということを許してはならない。不快や不満は公の場所で訴えられる国にいるのだから。 

Twitter の方にも張りましたけど、Dailymotionに2011年8月に1000号記念号を作っているシャルリー・エブド編集部の映像があり、今日殺されたカビュ、シャルブ、ティニュスの顔も映っています。この陽気で笑い声に満ちた編集者たちと漫画家たちの集まる編集室に、テロリストたちが突入し、カラシニコフを乱射したのですよ。これを理解してはいけません。テロリストたちは私たちの自由と共和国の根本を殺しに来たのですから。 
表現者たちは沈黙してはならない。恐れてはならない。シャルリー・エブドはフランスで最も不真面目で不謹慎な紙メディアと思われていたんですよ。不真面目・不謹慎を嫌う人たちがいたっていい/いて当然。それを議論できるというのが、私たちが生きているところであるはずなのです。意思表示をします。
 Je suis Charlie. 私はシャルリーである。

http://www.dailymotion.com/video/xkkg4g_charlie-hebdo-numero-1000_webcam?start=161


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・転載終わり

あらゆるものに風刺を徹底していた週刊誌だったんですね...

フランスでは旧植民地アルジェリアからの移民に対して根強い差別があり
治安当局は移民を極めて乱暴に扱うそうで
「二級市民」として鬱屈した感情を抱えた若者達が
過激な思想にとらわれやすい環境にあるそうです...

サルコジ前大統領は内相時代
アラブ系移民を「社会のクズ」と呼び一掃すると暴言を吐いた 
移民を安くていつでも追い出せる労働力として
さんざんこき使ってきたのに....



殺された漫画家を知る人々が明かす「風刺で闘う理由」