日々仕事に明け暮れた。重複するが、平日は衣料製造と卸販売、土日祝日は自社店舗で販売をこなす中、様々な商品を生み出すことに成功していた。メーカー初となる商品種や企画物など、商品からノベルティそして財布やアクセサリー、備品まで手掛ける幅が広がり、世間での反応も上々に会社の規模も目に見えて躍進していた。そんな中、仕事に対する評価からある程度の責任も信頼も得始めていた矢先のこと。私から上司そして社長への通常の確認伝達を飛び越えてしまった要件や開発が生まれ始めた時期。上司から私に対する不満のようなものを感じ始め、更には敵意のような感覚さえ感じ得た。それは、仕事が結果に繋がるほど溝は深くなり、ついには「あいつは信用できない」というような内容まで聞こえ出した。
丁度その時、衣料メーカーとして初めて手掛けることになった商品「アロハシャツ」の開発を私が進めることになった。企画会議時は上司が手掛けるということだったが、見ているとどうも進行している様子が無い。「どうなっていますか?」と質問すると他メーカーに別注する予定だという。これまで必死になって企画開発しお客様が注目してくれはじめていたタイミングというもあって、自社開発するよう進言したところ「じゃお前が担当しろ」とのことだった。メーカー初のオリジナルアロハという目標もあり、先刻製造し大好評だったメーカー初のスカジャン第1号で自信がついていたこともあり、何より私もいずれは手掛けてみたかったこともあってチャンスとばかりに了承し進行することにした。
まずはアロハ素材を独自に開発し、柄を手書き職人に依頼し下絵を作成し、ボタンを創り、そしてサンプルにして展示会発表にこぎ着けた。展示会では、メーカーそのものが注目を集め始めていたタイミングと相まって、その製造ストーリーや触ればわかる特殊素材が好評を呼びなんと1,500枚もの受注となった。舞い上がった私は早速製造関係者に連絡し、頑張って製造し納品しようと気勢を上げ確認し合った。たしか納期が5月だと記憶する。12月から着々と準備を進め、確認を繰り返し、専用箱まで作り納品予定の5月にそれは届き、1,500枚を見た途端に愕然とし血の気が一気に引いた。
確認し続けた素材は所々染めきれておらず漂白剤でも着いたかのような見た目、こちらから図柄付きの製造指示書(製造仕様書)を都度出しているのも関わらず無視したかのような縫製のつくり。そして、その製造品を包む風呂敷代わりにして来た布は開発した独自素材のアロハ生地を平然と使っている。誰の目でみても明快な大失敗となった。
しかし、多くの受注を頂いた手前「失敗しました!すみません!」では済まされず、正規品を創ろうとこの後に素材から作り直しを二度行うも同じ結果となった。この時既に納期遅れの6月後半。そして三度目も最後の縫製でやはり不備が発生した。1度目同様に仕様が異なるのだ。苦悩し追い詰められた末、工場を変えて「いつも遠慮なく言い合えるほど」信頼ある工場長を頼ることにした。「村松さんが困っているなら協力します」と。それからと言うもの仕事中はアロハシャツの解体を行い、19:00以降には群馬の工場へバラバラにしたアロハシャツを持ち込み、朝5:00過ぎまで一緒に作業を進め戻って仮眠し9:00には出社、これが2カ月ほど毎日続いた。
体力的にも大変だったが、どちらかというと精神的な消耗の方がこたえた。
社内は不穏な空気、上司は静観、私は始末書を社長へ提出するも未だ事態は収まっていなかった。
この時に「二度とアロハシャツなんて創るものか!」とまで思ったほど。しかし、私が最も辛さを感じたのは、結果を出した際も失敗した際も「企業にいながら孤独な感覚」に感じられたことだろう。
「おまえは信用できない」という言葉がどうも並行して圧し掛かっていた…