毎朝役職達が朝礼を行い、月曜日朝だけは全店の店長と関係スタッフを入れて全体朝礼を行うのが定例。朝10:00から仕事開始だが、月曜朝礼や掃除担当日は9:00出社と暗黙に決められていたことで、出社時間が曖昧になりうっかり遅刻するケースも出てしまった。全く不本意な遅刻歴と自己管理能力の無さから毎朝9:00に出社することにした。そうすればうっかり遅刻も無いし掃除も手伝える。そういう簡単な理由から始めたことが結果評価にも繋がり出世対象にして頂いていたようにも感じ取れた。

 

 私の平日仕事時間は朝9:00出社し、帰宅は翌2:00が最も多かった。一応定時では19:00退社だが、やりたいことが山積みにあるし20:00以降には各店の店長が社に戻り商品移動や企画相談、リペア依頼など19:00以降にも多くの仕事が舞い込んだ。そして土日祝日になると小売店舗 長野県内6店舗中の何れかに出向き店頭販売を行い終われば社に戻りもう一仕事、そして深夜まで。一見苛酷に思える内容だが、本当に真剣に楽しく頑張れた環境だったのだ。仕事をこなし結果を積み上げれば評価も上がり、いつしか色々な仕事をさせてもらえるようになっていた。個人能力を成長させ、販売を覚えお客様を知り、そしてモノ創りに深く携わっていた。苦悩から評価へ花開き始めた24歳。

 

私の身半分が所属する衣料卸会社。当初は社長のほか実働スタッフ2名ほどの小さな衣料製造及び卸会社は、商品数が少なく、当時を知る方は「小売店のオリジナルメーカー」という印象があるようだった。しかし創る商品は正しく「こだわり」が感じられるモノが多く、ヴィンテージに浸かっていた私でも納得するものも中には展開していたこともあり、社外での不本意な印象が私には「悔しくて」仕方なかった。そのこともあり「私に企画をやらせてほしい」と社長へ直談判した後は更に働いた。既に取引ある製造工場からは「そんなことも知らないのか!!」と怒鳴られ、要望を形にしてもらいたいものだから、負けずに言い合いすると最後には「仕事しないよ?」とまで言われるケースもよくあり、「専門用語も知らずにのべ100人指揮出来るのか?」とまで言われる皮肉交じりのやり取りも少なからず私を突き落とす要因となったのだ。それでも社外の現場にモノ創りのイロハを教えて貰いながら、初めて形にしたのは「ディアスキンレザー ダウンジャケット」というなんとも高価な代物。当時の価格にして約14万円。何事も最初は足が震えるような感覚があるものだ。「小売店舗でお客様を知り、そして製品を創り、それは認めてもらえるのか?買ってくれるのか?」今でも鮮明に蘇る工場と揉めて時間を掛けて上司からも釘を刺されたモノ創り1作目。これがモノ創りのスタートであり私が手掛けた第一号作。

 

 

多くの商品を企画し販売してきた経験、そこで得たのは成長と知識、そして社内外の仕事仲間。

しかし、よくある話だが「ある出来事」をきっかけに私の中に大きな不審も生まれた…

 

 

 

 

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