確かな時期は覚えていないが無職の2ヶ月間。
相変わらず服やヴィンテージモノに囲まれ、ドアを開ければ趣味と化したダットサントラック620があり、どん底の仲間たちも身近に変わらずに居た。しかし、自分の世界に包まれた時間は最初はゆっくりと、次第に加速的に不安を落とし込んでいった。
生活資金は早々に底をつき、短期バイトで食い繋ぐ、将来やりたい、なりたい職業など考える余裕も無くただ不安がつきまとう毎日。
退職して本当に良かったの?残っていれば違う道もあったんじゃないの?
大手自動車メーカー関連企業の責任者が私の退職時に言った「こんな大企業に戻りたくても戻れないぞ、絶対に後悔するぞ」への後ろめたいという思い。
そんな考えばかりが過る日々とその繰り返し。
しかし、次第に「それ」にも慣れてくる劣化思考。
退職した意味など無く、わがままと自論を通しただけ、退職することで存在を気にしてもらいたかっただけ。と、自分がとても嫌なヤツにしか思えなかった。
それだとダメだ、何かしないと。
そこから導き出した「仕事するならやっぱり古着・ヴィンテージを扱う仕事がしたい」という劣化した思考回路でも唯一消えない欲求、もしくは希望がこの言葉。
怠け、衰退し、劣化した環境から抜け出すため求職範囲を広げることにした。
東北範囲から日本全国に範囲を広げ、インターネットが未だ普及していない時代ということもあり、雑誌や求人情報を頼りに「理想の職場」を探し始めたが、「理想の職場と思われる企業」を検索したという表現が正しいだろう。というのも、相手企業が「求人しているかどうか」なんて求職する側(私)が気にすらしていないことに後々で気が付いたからだ。
そして様々読み漁り検索すること、ついに「見つけた‼」と声にした。
某アメカジ専門誌に6㎝×6㎝程度の小広告で載っていたのは前職最盛期のように古着・ヴィンテージと向き合っているだろう企業。「掲載写真を見るからに間違いない!」と意を決し、持ち前の行動力で直ぐに電話をすることに。ところが返ってきた答えは「求人をしていない」当り前の返答だったことで、この時点で「企業があっただけで、求人しているわけではない」とやっと気が付いた…
現在の私を御存じの方は既に御周知のとおり「私は諦めが悪い!」
数度の訪問、電話、そして「服に対する想いの手紙を提出する約束」の末、無事に半無理やり入社が決まった。
時同じく23歳 村松隼人。
長野県更埴市 入社及び引越し決定。
そして、今までの環境と仲間達や恩人達との別れも決定した。
※画像はその当時の雑誌広告。懐かしいような構成スタイル。