皆の必死の仕事姿勢が実をむすび始め、会社の規模が日に日に拡大する様子を肌で感じていた22歳。いよいよもって古着・ヴィンテージの仕事は「業務」と化した。仕事は業務を遂行する責任に遵守し、休日は車のカスタムショップに入り浸る日々。

 

「クルマの業界で働きたいと思います。カスタマイズドショップを職として夢見ます。」

休日のある日、この言葉にやさしく「そうか、いいんじゃない。村松君なら出来そうだし」と答えた某ショップの店主。「ただね、クルマが何で好きになったのかよく考えたの?」「原点を間違えるなよ」とも。

この時、頭を殴られたような衝撃をうけ「ハッ!」とした。

てっきり強く後押ししてくれるものと、「一緒にクルマ文化を盛り上げようか」という言葉すら当然のように出てくるものと思っていたのだ。

某自動車メーカー関連企業を抜け、古着最大手と言われるまで成長した企業に属し、その結果どうだったの、その先は?こう言われているようで、悔しいのか嬉しいのか何なのかさえ判らない感情に戸惑い迷いを繰り返し、数日なのか数週間なのか実は何も覚えていないが、結局絞り出した答えは「服があったから!」という原点に戻ることになった。するとどうだろう、今まで業務化していた「服の取扱い」が、また「あの頃のような」新鮮な気持ちで向き合えるようになり、図々しくも「やっぱりヴィンテージだよ」などと口にするほど更にのめり込むことになったのだ。

 

 やっと再認識した「原点」。知れば知るほど益々好きになる感覚が加速し、誰よりも更に入れ込むことになり突き詰めたい気持ちと充実感が全身を覆っていた。しかし、皮肉にも時代は「ヴィンテージブーム」が過ぎ、アジア古着やアジア雑貨に転換し始めた。伴い、急成長中の我が社も転換をすることになり、更には古着・ヴィンテージ部門の縮小と一部業務委託という方向性に向いた。流行と共にある企業としては当たり前の経営判断であり、おそらく企業として「応えよう、楽にしてあげよう」という想いも感じられたが、戸惑いと寂しさが私を含め仲間達に広がるのが見えた。

 

「服(古着・ヴィンテージ)が好きだから・・・」この言い訳はもう自分には通じない…

その言葉があったから頑張れた心は、無残にもリアルな音を立てて崩れ去って行くのがどこかから聴こえた。今でも鮮明に記憶する音、決していいものではない。

 

23歳 村松隼人 退職。

 

 

※当時読み更けたクルマ雑誌「Cal キャルマガジン」。