欠けているものごとに目を向けて
神の不在を決めつけるのは容易い
けれどもしそれが罰などではなく
神の護りのひとつの形だとしたら
ときに神が私たちを隠されるのは
神をよりよく見るためだとしたら
*
私たちははっきりした結果を求め
祈りが叶うことに神の存在を求め
選ばれることに愛の証しを求める
そしてときに神はそれを取り除く
神こそがすべての源であるとして
私たちが見ることを学べるように
*
私が待ち続けるなか気づいたのは
隠されているように感じることが
実は招きかもしれないということ
より注意深く見よという神の招き
それは美しいことや望みに限らず
遅れのなかにさえ神を知るように
*
それなら私は待つことを選びたい
誰にも見られていないのではなく
まず神によって見られているから
そしてそれは深い準備となるから
誰かの目に明らかにされるまえに
私を創られた神の目に根ざすため
*
ゆっくりとした静かな季節にいて
隠されているように感じるときは
神の近さを忘れないようにしたい
神はご自身を明らかにされている
美しさや神秘をとおして—そして
待つことの痛みをとおしてさえも
ーーー
“God’s Revealing Love”
より一部をもとに訳して
ーーー
わたしが計画しているこのことは、
今すぐには起こらない。
ゆっくりと、着実に、確かに、
幻が実現する時が近づいている。
遅いように思えても、失望してはならない。
これらのことは必ず起こる。
忍耐していなさい。
ただの一日も遅れることはない。
ハバクク書 2:3
