欠けているものごとに目を向けて
神の不在を決めつけるのは容易い
けれどもしそれが罰などではなく

神の護りのひとつの形だとしたら
ときに神が私たちを隠されるのは
神をよりよく見るためだとしたら




私たちははっきりした結果を求め
祈りが叶うことに神の存在を求め
選ばれることに愛の証しを求める

そしてときに神はそれを取り除く
神こそがすべての源であるとして
私たちが見ることを学べるように




私が待ち続けるなか気づいたのは
隠されているように感じることが
実は招きかもしれないということ

より注意深く見よという神の招き
それは美しいことや望みに限らず
遅れのなかにさえ神を知るように




それなら私は待つことを選びたい
誰にも見られていないのではなく
まず神によって見られているから

そしてそれは深い準備となるから
誰かの目に明らかにされるまえに
私を創られた神の目に根ざすため




ゆっくりとした静かな季節にいて
隠されているように感じるときは
神の近さを忘れないようにしたい

神はご自身を明らかにされている
美しさや神秘をとおして—そして
待つことの痛みをとおしてさえも



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ーーー

わたしが計画しているこのことは、
今すぐには起こらない。
ゆっくりと、着実に、確かに、
幻が実現する時が近づいている。

遅いように思えても、失望してはならない。
これらのことは必ず起こる。
忍耐していなさい。
ただの一日も遅れることはない。


‭‭ハバクク書‬ ‭2‬:‭3‬