いつという感覚も
だれという認識も
なにも無いことの
心地よさを残して
生と死のあわいを
束の間ただよわせ
在るということの
不思議さを通して
染みわたるように
記憶がよみがえり
再び運ばれてゆく
いまいるわたしへ
ーーー
“自分自身の死、その不可能性。
翻って、いま在るとはどういうことか、
広げて、存在するとはどういうことか…
…思索は、死を越え生を包み、
生死の区別の向こう、
「人間」すら越えて広がるのである。
広がりつつ、しかしここにいるのである。
謎を思索することで、思索自体が謎と化す。
今さら「私」とは誰であり得るのか。”
池田晶子