LEFT UP/YELLOW ABOVE  

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目を閉じて見える闇と光と埃の写真をみせてくれ 
記憶 ・ 記録 ・ 煙のようなもの

Amebaでブログを始めよう!


「シバカリってなに?」

「シバを刈るんじゃない?」





これでは 子どもの質問の答えになっていないし

小栗旬の云う「シバ」は「柴」ではなく

「芝」のようにも取れる。



小栗旬は そんなことも知らないのぉ?



というなかれ。



かくいう自分も 昔話のおじいさんの担ぐソレを見ていながら

ずっと「たき木」だと 信じていたし

「この時代に 山へ芝生の手入れをしに行くなんて ちょっとおかしい」 と

考えながらも 「柴」にたどり着けなかったではないか。



ましてや 彼のような若者や もっと幼い子が

焚付けに使う小枝を 「柴」というなんて

知らなくてもしようがないんだ。



自分だって四十すぎてブログを始めた頃

よその人の 

「コメありがとう」

って書き込みを見て

「この人たちは お米を送ったりしあうのを

 こんな所でサラっと お礼をいうほど 仲がいいんだ」

って思ったじゃないか。



知らないものは 知らない。

ちゃんと 故事にもあるんだ。(by 小泉)




強いな このフレーズ。

なんかすごく無意味に 威張れるじゃないか。







追伸:

師走に入り ほぼ毎晩挫折・・と

準備に手間取っていますが

目標として アメンバさんに お知らせしたいことを

今年中には と思っておりますデス。 ハイ・・・



  息抜きに アホな話を・・



先日 免許の更新に 免許センターへ 行ってきた。


平日の昼間で 人影もかなりまばら。



窓口のお兄さんに 「申請用の顔写真を 用意してきたか」


と尋ねられ、持ってきていないと答えると


「それなら ③ブースで 撮って来てください。


 免許証用とで 二回撮影することになります」


と 説明を受けた。



いわゆる街角の証明写真のような 


4枚くっついたやつを撮って さっきの窓口に戻ると、


後から来た女性が 同じ説明を受けていた。



赤ちゃんを前抱きにした 20代半ばくらいの


ヤンママ って 感じの女性。


( ヤンママって ヤンキーママ? ヤングママ? )


メイクやスタイルは 小森純な感じ。


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顔立ちは 森泉っぽい。(アイメイクが濃いので定かではないが)




彼女は 「あ、持ってきましたぁ」 と 


バッグから 4枚綴りの写真を 取り出している。


二三やり取りしていて お兄さんがドッと 笑い出した。


・・・まだ笑っている


堪えきれないといった感じだ。




こんな事務的やり取りで なにをそんなに楽しい事があるのか??


と 不思議に思いながら 遠目で見ていた所、


手続き上 同じ段階になった私も 交えて


彼女と並んで 説明を受ける格好になった。



「では次に ⑤番で 免許証用の写真を 撮って頂きます」



即座に 女性が 顔色を変え


えっ?! 今日 撮るんですか?


 今日 撮らなきゃいけないんですか?!」


 と 狼狽している。




・・・ 免許証写真は ブルーバックと相場は決まっている。




「どーーしても 今日撮ったやつでないとダメなんですか?!」


と 食い下がる女性。 


「ハイ」 と言われると 急に気落ちして


「どーーしよう・ ・ ・ ・  いけるかな・・」


と気弱そうに 呟いている 。



「なにが????」( ̄Д ̄@)




[なにが いけるのか] 




二秒ほど遅れて 理解した私は


思わずプッと 笑ってしまったが、


今度は お兄さんは真顔のままだった。




私がもし 男性だったら 


すかさず こー云ってあげるのになぁ。。。



『 大丈夫ですよ♥ 奥さん。


 今日も麗しく イケてますから(微笑)』



ほぉら、これだけで舞台はミラノに早変わりw



ながゆちゃんのようなS女に殴られても 痛くない。






  






「クジラの噴気孔は鼻」だと知らなかった松ちゃんが

「えー⁈ アレ 鼻なん~?鼻やったん~⁈」

としきりに感嘆してるのを見て、逆に驚いた。

でも興味も考えたこともなければ、そんなものかな。

そんな彼に「ね、 こんなに鼻でしょう?」って この写真を見せたい。

すごく見せたい。

photo:01



「進化中、目と目の間を過ぎた時点で、
鼻フックのホンコンより、すごいことになってたんやね~‼」

って言うと思う。きっと。



photo:01


↑↑妹 寝ています。10日前の夕刻。

連日の運動会練習に、へばりぎみだったのが遥か昔のよう。

三連休明け、登校、翌日警報で休校、一日登校してまた三連チャン。

GW小春版 のような。

夏休みにwiiやDSをやり尽くした息子(小5)は、
次にUNOだのトランプだの持ち出し、さんざん相手をせがんできた。

んで次に目をつけたのが 将棋。

しか~し、はさみ将棋や角回ししかやった覚えのない私は、駒の進め方もわからな~い。

「教えられへんもん」と、尻込み続ける私を尻目に、
爺ちゃん(私の父)に頼んで古い将棋盤をもらうことに成功した。



photo:02



実は父は、将棋三段の腕前で、
昔から新聞社主催の大会では、県で賞状をもらってくることもしばしばあった。

今では、「ねんりんピック」というシニア何でもあり大会の県代表の常連さんになっている。

ここまで書くと、「ほぅほぅ、で爺ちゃんの英才教育を受けることになったのね」と思うでしょ。

…でもあの人はそんなに甘くないの(T . T)

昔から何度教えてと言っても、ついにそんな素振りもみせんかったし。

今回も、厚い盤は他にもあるからと、
快く折りたたみ盤を譲ってはくれたものの、
くれたアドバイスは「まぁ、勉強の妨げにはならんから」のひと言だけ。(^_^;)

仕方なく入門サイトで、駒の進め方と成り駒と禁じ手だけダウンロードしましたよ。

2人でプリントアウトしたルールを見ぃ見ぃ、しどろもどろの初一局(笑)

共に初心者とは言えこっちは大人やん?
前半がんがんリードするも予想外の反撃にあい、しかし王手の一歩手前で駒を崩される。 ( ̄◇ ̄;)オイオイ

それでも「けっこう将棋って面白いね~」って楽しんだよ。

私の兄と父が対局してるのも見たことないけど、兄は娘(小1 私の姪っ子)に3歳くらいから仕込んでいる。


目下の目標は年下のいとこかもしれない。

でもへたれだから負けたら辞めてしまうだろうな。


当面は 箱入りで培養するしかない。


実力はどうあれゲームばっかから足を洗って、続けてほしいアイテムなんだけど。

一緒にできる友だちがいたら一番いいんだろうね。







明日が 明後日になってしもた・・(汗)

細野晴臣氏の祖父のお話の 続きです・・。


この記事 こんなこと考えたりしてたなぁ~って


つれづれ書いてるだけで


着地点がないので ご容赦を (^^ゞ




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海外留学のため タイタニック号に乗り合わせた

日本人となると 当時としては それ相応な人物。




海外で勉強してきた官僚として 


さぞ未来は有望だったはずが

奇跡的に助かって故郷に戻るも


「女子供を押しのけて ボートに乗り込んだ東洋人がいた」

という別の生還者の証言 や


男が生きて還ってきたという

当時の日本の考え方から

降格や周囲の中傷などを受け 


事故後は ひっそりとした人生を 送られたそうだ。






晴臣氏によると 事故の話は 幼い頃から家では一切禁句だったらしい。






時が経ち 現代の技術によって 事故の再検証が進み


 映画タイタニックの大ヒットも相まって


目撃された 無作法な東洋人は 


全く別のボートの中国人だったことが判明した。








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「銀河鉄道・・」の中で

沈んでゆく船でパニックの中


子どもを連れた家庭教師が


人を押しのけて助かるよりは


この子らを抱いて 浮かべるだけ浮かんで(死のう)


というくだりがある。


このエピソードが タイタニック号をモチーフに


描かれたことは 明らかなところ。

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「銀河鉄道・・」の公開から数年後


祖父の汚名返上の報を受けて 晴臣氏は 


「祖父がそんな行為をしなかったとは 信じていたけれど


 汚名が 晴れたことは 嬉しい。


 ただ 祖父が聞いても さほど変わらなかったと思う。


 沢山の方が亡くなった中で 自分は助かった 事実は変わらないから。


 だから何を言われても 一切弁明することなく


 無言で貫いたのだと思う。


 あの事件は 自分にとっても ずっと複雑な思いを抱いてきた。



 もし祖父がそこで亡くなっていたら 自分はここに 居なかったわけだから。

 「銀河鉄道・・」の音楽を担当したことは やはり何かの縁なのかな。」




という内容の コメントを寄せていた。



私は 細野氏のファンなので


一連のニュースは 少なからず気持ちがひかれた。


と同時に 御祖父の高潔さと信念が 窺われ


哀悼の想いと敬意を抱いた。




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災害や 事故というのは


その災難のみならず


人を 思わぬ方向に追いやるものだ。




宗教観のようになるが


自然の災害しかり


先祖子孫 食物に いたるまで


全ては 繋がってるということ。


奢っちゃなんねー ということ。


何かを狂わされても 狂っちゃなんねー ということ。



で 時代はまさしく その辺りに立ってるよね?


と思った。



そんなわけで 宮沢賢治は


自分には ちょうどいい聖書なのかも


とも 思い始めた。





そんなことを 考えていた って お話。


 


次は もちょっと コメントしやすい記事をw




  



  



 先日の記事でも 少し触れたけど


ちょうど お盆に 101歳の祖母が 亡くなった。




梅雨入り直後の 猛暑で


私自身も 祖母も 体調を崩した。


さすがの祖母も 今年の夏は 越えられなかった。




  さて 人間長生きしたからといって


VIVA! ご長寿♥


とはいかないのは 今に始まった話でなく・・。



( 祖母の関連記事①

  限定で申し訳ない 祖母の関連記事②  )


親世代のなんだかんだを 横目でみながら


その一時期は ずっと


親 親の親 介護・・ ご先祖  供養・・


などなど 自分なりに 考えていた。



少し気が咎めつつ 書くのは


本来なら 祖母を見送り 供養する立場の 伯父。



親子関係がこじれてしまうのは ままあること。


けど 亡くなった後も それを放棄したい というのは・・



自分のルーツを 否定することに なるのでは?


それを 子どもに どう伝えるのさ。


生きてる人が 仏様になるのに・・。


などなど おこがましくも 考えていた。




結局 末っ子の母が 葬儀を出したのだが。



そんな頃 考えていた お話。



( 脳内連想なので どうにも筋道が 整理難しくて


  まだるっこしく 長くなります・・ m(_ _)m )



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 体調を崩していた7月頭の週末。


十分 家にいたかったので 


子どもらに DVDでも 観ていてもらおうと


レンタルに 行った。



 10分立っているのが 辛くて


店頭のチョイスは 気もそぞろ。


3本目は 七夕(天の川)が近かったのもあって


目についた「銀河鉄道の夜」を 手に取った。



子どもは見たことないはずだし、


自分も久しぶりに見てもいいかと。




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特に好きな映画ではないけど

宮沢賢治は いわば 


私の牧師のような ポジションの作家。



最初に出会った 「働けど 働けど わが暮らし・・・」は


正直 子ども心に まっぴらゴメン(ノ´▽`)ノ と思った。



作品は すぐには 理解しずらい面もあるが


あれはどういう意味だったのか


後から 気になったり 


じわじわ 響いてくるところがある。


ずっと気になっているのは 


「やまなし」  「よだかの星」  「銀河鉄道の夜」



「よだか・・」と「銀河鉄道・・」には 共通のモチーフがある。



登場人物(動物)が いかに死ぬか。


我を通して無駄に命を落とすよりは


自分の命を 用立てて死んだほうが ましではないか。


と 葛藤するんである。



これは 今でも到達できない心境地だけれど


私は 幼少のころ 兄と ザリガニやら カブト虫を 取ったり


「野生の王国」を 観て 育ったせいか


生態系に 大いに興味を持っていたので


強ーーく 印象に残ったのだった・・。



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そして この映画音楽を 担当していたのが


 細野晴臣氏。




彼の祖父が


タイタニック号の 生還者であるという話は


広く知られているのか いないのか。







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この話も長いので 続きま―す。


明日更新  (。-人-。)










 




  夏休みが終わったのに 


昨日は警報で 学校が午後からで


ようやく今日から 新学期が 始まった感がある。



  関西に住んでいると ニュースの内容が 


全国版なのか 関西ローカルなのか 


意識せずに 見ていることが よくあるけれど、


今 報道されている 台風12号の被害は 


どうやら 全国ネットの もよう・・。


震災痕のような 程近い村の景色。 



五條市は 最近行った キャンプ場あたり。


十津川も 幾度となく キャンプや行楽に訪れた土地。


那智勝浦は 世界遺産の熊野古道 那智の滝で 有名な地。


いずれも 車で 2、3時間の


関西の人間には 夏の行楽に馴染みの深い


豊かな自然に囲まれた 山深いのどかな地域。



十津川は 本当に山深くて 道が一本しかなく


数年前に 土石流で道を寸断されて以来


長いことかけて 道路整備がすすめられて 


ようやく落ち着いたところのはず。




山の谷間を 流れる川を 挟むように


住宅が 点在している。


車で 通っていて この辺の人たちは


いったいどこで 普段の買い物をするのか


不思議に思って、 キャンプ場の人に 尋ねた覚えもある。



災害や事故で 生死を分けられた家族は


「あの時 こうしていれば もしかして・・」


と 罪のない自責の念を 繰り返してしまう・・。 


本当に 辛いことだろう。



やりきれない想いがする。



「今年は なにが起こるかわからない」なんて


聞いたけど、 「これからは・・」 なんだと思う。




地球を憂いて 暗くなるだけでは 仕方ないのだが


個々の対策・警戒は然り、 けれど


「問題の本質から 目を逸らすな」と 


自然から警告を 受け続けているようだ。




自然から というのは


神様から 言われているに ほかならない。


退屈な言い方に なるけれど。