長嶋終身名誉監督&松井秀喜氏に国民栄誉賞 | はい、タケコプター

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備忘録としての日記です。よろしかったらご覧下さい。

長嶋終身名誉監督&松井秀喜氏に国民栄誉賞が授与されました。

午後テレビで生中継を見ましたけど、これが本当の晴れ舞台なんだなぁと思いました。

松井秀喜氏がジャイアンツ入りしたのが1992年。
小生が大学に入学したその年でした。ですので何故か勝手に親しみを抱いて応援していましたし、昨年ユニフォームを脱いだ時には「もうこんな時が来てしまったのか」という一抹の寂しさも感じたのでした。

長嶋終身名誉監督&松井秀喜氏と言って思い出すのが1994年の日本シリーズ第6戦です。

浪人時代の寮の仲間から、日本シリーズのチケットがあるからドームに見に行かないか?
と誘われました。延々と待ってしかも立ち見と言うことで「テレビで見た方が...」と思っていました。
が、強く誘われ渋々見に行くことに。

この日は巨人が西武を相手に3勝2敗とリーチをかけていました。
ちなみにこの年はセリーグのペナントレースが最終戦までもつれ、最終戦は10.8決戦と呼ばれ今でも語り継がれるほどの名試合でした。

試合は10月29日の13:00にプレイボール。

打者としては頭角を現したものの守備がイマイチだった松井選手
しかし、好返球で本塁タッチアウトというナイスプレーがありました。
巨人優位のペースで、空気が襲ってくるような熱気。
長嶋さんの指揮でこの空気が生まれてるのかなと思いました。
西武の選手も渾身のプレイ。
特に最終回、石毛選手の大振りのスイングにはプロの根性を見ました。

1994年日本シリーズ第6戦


槙原投手が最後の打者を抑え、選手が駆け寄ると。ドームが爆ぜるんじゃないかと思うくらいの大歓声。
そしてミスターの胴上げ。
こんなにhappyな時間はないと思うくらいの歓喜でした。

松井選手は海を渡りメジャーへ。
もう55番が見られないと思うと、残念と言うより喪失感でいっぱいでした。
プロ野球をあまり見なくなったのも丁度この頃からでした。

それだけに今日の55番の復活。そして脳梗塞で身体の自由がきかなくなってしまった長嶋さんの久々の晴れ舞台には感慨無量でした。
松井氏は元々は阪神ファンだったそうで、日本に帰る時は縦縞?なんて思っていたのですが、今日の55番を見て本当に良かったと思います。

その後の始球式も"安倍主審"も交えた豪華キャスト。
それにしても安倍首相も昨日の今日ですから激務ですね。

選手生活を静かに終わった巨人の4番、そしてヤンキースの4番。
かつてのスーパースターが育てた新しいスーパースターが世界のスーパースターになったという夢物語の完結編を見ているようでした。