報道と人権 | はい、タケコプター

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吉田町学習ホールで、吉田町人権教育講演会が開催されましたので聴講に行ってきました。


講演のテーマは「報道と人権」で講師は松本サリン事件の被害者の河野義行さんでした。

ご存じの通り、松本サリン事件発生時に第一通報者として事件を通報したことをきっかけに、容疑者として疑いを持たれてしまったのが河野さんです。

講演では事件以後の経過をわかりやすく説明して下さいました。


警察やマスコミが経験則に頼ったことで「思い込み」に繋がったこと、守秘義務を課された警察とその一方で速報性で鎬を削るマスコミ。そのことが警察からのリークや断片的な情報に報道機関が根拠のない推測を加えて広く国民に誤った印象を広めてしまうという事件報道の構造的問題。物証に頼らず自白偏重で自白を促すためにマスコミをうまく使う捜査機関、と捜査機関からの情報を鵜呑みにしてしまう報道機関。報道によって扇動された世論の怖さなど、構造的な問題が、誤認逮捕の寸前まで河野さんを追い込んでいったことがよくわかりました。


それに対して、世の風評に耳を貸さなかった河野さんの勤務先の社長、診察に当たった医師の救命救急段階での好判断と警察の圧力に屈しなかった職業倫理観、バッシングに耐え抜いた家族、事実をきちんと追い求めた弁護団、そして「自分の心の位置を高くする」ことで難局に対処した河野さんの知力と精神力が名誉回復に繋がった点には感動を覚えました。


一見すると警察もマスコミも悪者に映ってしまうのですが、一応は彼らは世の中から求められていることに一生懸命に答えているとは言えるでしょう。


ただ、決定的に足りないのは「そもそも論」の部分だと思うのです。


当時、事件のニュースを聞いて「化学兵器として使われるようなものがそんなに簡単に作れるはずがない」と思いました。実際に事件の原因物質となったサリンを生成していたオウム真理教の製造プラントは大型でしたし、材料として特殊な金属が使われていました。

ワイドショーのコメンテーター程度の大学教授ではなく、その道の第一人者にサリンがどうやって生成されるかを問い質していれば河野さんを疑う余地はなかったはずです。また、当時の事件報道で「薬品の調合を間違えた」と発言したとされているのに(実際はそういった発言すらなかった)「殺人」容疑がかけられているという自己矛盾に報道機関自身が気づかなかった点等も、きちんと論理的に考えてみれば引っかかったはずです。


ややもすると、事件事故の報道は人が犠牲になったり傷を負ったりするため、感情論ばかりが先行して事実を見失いがちになります。もちろんそうした悪弊に気づくことができればいいのですが、未だに事件、事故がある度に同じ光景が繰り返されています。


情報を受け取る側も、怒りを感じたら次に「ちょっと待った!」と一度立ち止まる勇気も必要でしょう。

講演の中でも、庭に干してあった枯れ草をヘリコプターから見て「薬品の痕跡」と取り違えたとか、漬け物の樽を「薬品調合の容器」とされたなどが紹介され、笑い話レベルの話の積み重ねで「犯罪」が作り上げられたことがわかりました。

我が身で同じことが起こればたまったものじゃありません。


「その日の『事実』は真実とは違う」


という河野さんの言葉が非常に示唆に富んでいました。真実というものはどこかにあるのだけれども、我々は「事実」という目に見える相対的な「真実」の中で生きていることをもう一度考え直す必要があるのではと思います。