翌14日朝、東松島市へ出発します。
ボランティアの受付は8:30からとのことですので、この時間に合うように仙台を出る時間を逆算すると、あおば通駅6:53発の電車に乗らなければなりません。
ホテルの朝食は6:30からですので、食事を掻き込んで済ませるような状態になります。
朝食抜きも考えましたが、何も食べずに力仕事をしようなんて無謀です。
本当に青葉がまばゆい朝のあおば通駅。
代行バスは鉄道と同じような扱いですが、Suicaは使えません。
ですので矢本駅までの740円の切符を購入します。
やってきた電車にはキャラクターのラッピングがありました。
石巻まんがロードのポスターが出ていました。
石巻市は石ノ森章太郎氏の出身地なんだそうです。
鳥取・境港では水木しげるロードと妖怪列車がありましたが、その東北版とでも言いましょうか。
東塩釜駅で代行バスに乗り換えます。
ここまであおば通から約30分。矢本までは1時間かかります。
急場ごしらえの所為か「このバスには運賃箱がついていないのでおつりが出ません。少なめに払っていただいて残りは次の時にお願いします」とのことでした。
松島海岸までは、道路もそれほどダメージはなく大破した建物もそれほど見かけませんでした。
仙石線の線路も見た感じではほとんど大丈夫なレベルのようです。 (後で調べたら5月下旬に高城町駅まで運転再開になるそうです。)
しかし、その先の陸前富山あたりから道路もガタガタになり、仙石線の架線柱が至るところで折れ曲がってしまっています。
一番ひどいのは陸前大塚から鳴瀬川の手前まで。
特に東名(とうな)~野蒜(のびる)にかけては惨憺たる状態です。
津波で流出して基礎だけになってしまった建物も多く、残っている建物も1階部分は完全に大破しています。
伊達政宗が築造した言われる東名運河には泥まみれの車が何台も転がっていました。
バスが鳴瀬川の土手にさしかかった時、初めてみるのに以前見たものが目に入りました。
仙石線の鳴瀬川橋です。
以前兵庫県の余部鉄橋が架け替えになった際、架け替え後どうなるのかを調べていたところ、同じエクストラドーズド橋として出てきたのがこの鳴瀬川橋でした。まさかこんな形で実際に目にすることになろうとは思いもしませんでした。
バスは仙石線と平行してなお走りますが、陸前小野を過ぎたあたりで線路の補修をしているのが見えました。
こちらは石巻の方から列車を通すことになるのでしょうか。
JR東日本の発表では仙石線でもルート変更を計画しているようですが、状況から見て陸前大塚と陸前小野の間が対象なのではないかと思料されます。
バスはほぼ定刻通り矢本に到着。
が、全く初めて降り立つ場所ですので一瞬右も左も分からなくなりました。
仕方ないので頭の中でうろ覚えの地図を思い浮かべながら市役所の方に向かいました。
市役所を通り過ぎて「これか?」と思う建物があり入ろうとすると何か違和感が。
よく見ると避難所になっていました。
これはいけないと思い市役所の玄関に行くと仮設の窓口があり、申し訳ないと思いつつそこにいた方に「ボランティアセンターはどちらですか?」と聞いてみました。
一人の方に案内していただきましたがユニフォームに「福岡県」と書いてありました。
まさに全国レベルの支援であることを実感しました。
ボランティアセンターは矢本保健相談センターの2階にあります。
5人未満で参加する際にはここに直接行き、申し込みをします。
(東松島市災害ボランティアセンターは5月いっぱいで移転しています。
これから参加される方は公式サイトでご確認ください。)
初めての参加者は申込用紙に住所、氏名とボランティア保険について記入します。そしてポストイットの短冊に名前を書いて渡すと、その短冊を並べて班割りが決められます。
小生が配属になったのは15班。
北関東からキャンピングカーで参加のご夫婦と、地元の若手男女3人組が仲間になりました。
お役目は庭のヘドロ除去でした。
スコップなどの道具の貸与と、土嚢袋の提供をうけます。地元の3人はだいぶ慣れているようで、センターの人と「2時間で200袋やります」「えーそんなにやるの?大丈夫?」なんて話をしています。災害ボランティアは初めてですから、みんな初めての体験です。
キャンピングカーで派遣先へ出発。
依頼者宅の周囲はまだ多数の漂流物がありました。
ヘドロの除去とは言っても砂の方が多いくらいです。
ただ、カリカリに固まったヘドロがはっきり分かるので扱い自体は楽です。
湿っていると重くなるうえ、臭いも凄いんだそうです。
コツはスコップを浅めの角度でスパッと切り込ませ、しゃくるようにすくいあげるような動作。
すくった泥は土嚢袋に詰め、前面道路に集積しておけば後は市の方で収集に来てくれるのだそうです。
砂混じりの泥をすくっていくと、玄関アプローチの飛び石と砂利が出てきました。
砂利も分別した方がいいのでしょうけど、そんなことをしていたらいつまで経っても片付きませんし、依頼者の方も「全部取っちゃっていいよ」という話でしたので、砂利もすくってしまいます。
コンクリートを打ったりインターロックにしておけばヘドロ処理は楽なのでしょうけど、まさか津波でヘドロが積もるなんて考える人はいないでしょうし、なんと言っても味気ない庭になってしまいますから、難しいところです。
実家の芝生の庭を思い出し、「ウチもやばいな..」と思いました。
敷地の周りにはいろんなものが散乱しています。プレハブの小屋が流れ着いていたりします。畳はふやけて油揚げのような感じに。植木の根元の泥をすくっていると、ふやけたダンボールやエプロン、Tシャツなどが出るわ出るわ。炊飯器は外装ケースが壊れ、中の釜が引きちぎられたようになっていました。その傍らで桐のタンスの引き出しが全く無傷で転がっていたのには驚きました。 こんな感じでもう何が何か分からない状態です。
ヘドロも然りで、下水も混ざっているかもしれないし、PCBやシアン化合物などの有害物質が混ざっているかもしれません。
ですから、耐油性の厚手の手袋が必須です。
活動時間は2時間ですが、あともう少しで2時間というところで土嚢袋を使い切ってしまい、作業終了となりました。除去できたのは大体庭の半分くらい。重労働で体力的な問題、時間の制約もあり、そんな程度になってしまいました。
依頼者も「ありがとう、助かったよ」と見送ってくれましたが、やっぱりどこか心残りがあるというのが正直な感想でした。
ボランティアセンターに帰る道すがら地元の3人が「地震の直後はこの道路もほとんど通れる状態ではなかった」なんて話してくれました。2ヶ月経って直接死命を決するような物資が極度に不足しているような状態ではなくなりましたが、まだまだ片付けなければならないことがたくさんあります。いや、ありすぎます。
息の長い支援の必要性を痛感しました。
●泥出し作業はこんな感じです(東松島市災害ボランティアセンター)
http://msv3151.c-bosai.jp/?module=blog&eid=16313&blk_id=11569