事業仕分け参加記-9 自分にとって仕分けとは | はい、タケコプター

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備忘録としての日記です。よろしかったらご覧下さい。

長々書いてきましたが、読み返してみるとなんか変な文章が多いですね。

これから推敲しなきゃ(公開してるのに...)。


ところで、なぜ県民委員に応募したか。


とにかくやってみたかったからです。

別に政治的なことはやりたいわけでもないし(というかあまり政治には関わりたくない)

でも、世の中がどんな風に動いているのか、その仕組みに迫ってみたいとは思っていました。


事前説明会の時、マスコミにインタビューされていた人が

「静岡県のために何かしたい」みたいなカッコイイコメントをしていたのを見て、

「おいらはこんなこと言えねぇや」と思いました。

なぜなら応募動機の割合としては「自分のため」の方が大きかったからです。


でも、最初に思ってた以上に「自分のため」になったことが大きかったように思います。


応募したときには、傍聴者がたくさんいることや、マスコミの取材が入ることをほとんど意識していませんでした。


大勢の前で自分の思っていることをハッキリ言わなければなりません。

時には誰かに恨まれるかもしれないし、間違ったことを言って晒し者になるかもしれない。

そんな不安と恐怖が一気に現実のものになりました。


資料を読んでも分からないことはいっぱいあるし、

当日誰と一緒に作業をやるのか分からない。もしかするとすごく威張っているような人がいて、縮こまりながら作業をしなければならないかもしれない。


そんな中でいろいろ準備をしていくうちに、どうしたらよりよい結論を得られるのか常に考えるようになりました。

資料を見ても分からない、ネットを調べてもイマイチ絞りきれない。そうなると、あとは自分自身が経験してきたこと、自分自身が持ち合わせているものしか頼りになりません。


ここのところ、本で読んだり、参加したセミナーで聞いたりして良く出会ったフレーズが、「自分自身の棚卸」でした。


自分自身の棚卸というのは自分自身の持っている知識や、自分の経験、好みなどをすべて洗い出すことを言います。

でも、何も目標がない状態、漠然とした気持ちでは自分自身の棚卸しなんてなかなかできるものではありません。


今回、その自分自身の棚卸しを否応なくさせられる機会となりました。

そして、自分にはたいした経験もない、知識もないと思っていたのが間違いであることに気づきました。


仕事でも、日常でも今回の仕分け作業に役立つような経験や体験は案外たくさんしていました。

日常なんの気なしに触れている情報にも、示唆に富んでいるものがいっぱいあることにも気づきました。

逆に、自分自身も「木を見て森を見ず」的な視野狭窄に陥ってしまっていると思いました。

これは非常に大きな収穫でした。


また、やはり大きかったのは人との出会いです。

事前説明会で出会った県民委員の皆さんとは本番まで情報交換したりできました。

また、同じチームで作業に当たった皆さんとは初めてあったばかりなのに何年も一緒に仕事をしてきたような、そんな親しみを感じました。

これはとても不思議でした。

他の皆さんも責任感と使命感と緊張の中で真剣に向き合ってきたからではないかと思います。


また、構想日本から派遣された皆さんも素晴らしかった。

コーディネーターのIさんには、自由な議論の大切さ、コミュニケーションの取り方、「そもそも論」に立ち返ってロジカルシンキングを展開することの必要性など、本当にいろいろ教えてもらいました。


委員拝命を知ってすぐの頃、委員を引き受けたことを友人に話したら

「貴重な休日をつぶしてしかもタダでそんなもの良く受けるなぁ」

といわれました。


でも、お金じゃなくて他に得難い経験ができたことは無形の資産になります。


今年で終わりとも言われていた県の仕分け作業は、来年も実施されるようです。

知事肝いりの事業がことごとく「不要」とされたのに来年も続行すると表明したことには

敬意を表したいところです。

(不要と判断されたからこそ、ブラッシュアップの成果を見なければならないのかもしれません)。

ただ、果たして今のような素人の県民が参加するスタイルが踏襲されるかは分かりません。


また募集があったとしたら。どうするでしょうかね。


できるだけ多くの人が経験できるように身を引いた方が良いかもしれないと思うし、

逆に今年できなかったこと、反省点を来年に生かせばもっと良いものにできるとも思います。

まだ先のことなので、今はなんとも言えませんけどね。



<終>