いよいよ今週末でJR山陰本線の余部鉄橋がその歴史に幕を閉じます。
昔、夢千代日記というドラマがあって、テレビで見たことがありました。
その時ドラマの中で赤い櫓のような鉄橋のシーンがありました。
それから数年して、NHKのラジオを聞いていたら
「国鉄山陰本線で回送中のお座敷列車が突風にあおられて41m下に転落」
というニュースが入ってきました。
まさかあの赤い鉄橋じゃないか?
と思ったのですが、その「まさか」でした。
その後何もない平時のこの鉄橋の写真を見て、一度はこの目で見てみたいと思いました。
とはいえ、しばらくは忘れた存在でありました。
思い立ったのは2008年の正月。
既に架け替え工事が始まっており、「今の鉄橋の姿を楽しめるのは新しい橋の橋脚が立ちはじめる今年の夏頃まで」という話でした。
転落事故の影響で余部鉄橋は風による運転規制が厳しくなり、冬に行くのは無謀ではありました.
でも、できるだけ早く行きたいと計画を立て、2月の半ばに決行しました。
その日は冬型の気圧配置で、現地まで行けるかどうかギリギリでした。
新幹線も名古屋を出て大垣を過ぎると一面の銀世界。「新大阪から特急にお乗り換えの方は車掌にお申し出ください」とアナウンスもあり、行く先が心配になりました。
車掌が検札に来たところで京都から乗る特急「たんば」の切符も一緒に差し出したところ、車掌はしばらくじっと切符を見て「ありがとうございます」と返してくれたので、「なんとかなりそうだ」と少しホッとしました。
それも束の間、京都で乗り換えるはずの「たんば」が来ない。
もう行けないかと思ったものの。遅れながらも終点城崎温泉まで無事走ってくれました。
城崎では羽毛のような大粒の雪が激しく降り、この先列車は走れるのかと心配になりました。
「何とかもう少し、列車よ走ってくれ!」
願いは叶って、餘部に到着。
モノトーンの景色の中で、鉄橋だけが赤茶色に浮き立って見えました。
遠かった。本当に遠い道のりをここまで来たと感動を覚えたものです。
もう一度、晴れた青空の下、鉄橋を見たいと思って訪れたのが今年の一月。
既に新しい橋は鉄橋を覆うような形で立っていますので、あまり期待はしていませんでした。
今度は鳥取経由で現地入り。天気はみぞれ模様。
傘を差しながら餘部の集落を歩きました。
しかし、ここは日本海側。
「弁当忘れても傘忘れるな」というくらいですから。傘を差していても要らなくなることだってあるわけです。
最後に見事に晴れてくれました。
遙か彼方の漁村に立つ赤い鉄橋は明後日100年にわたる歴史を閉じます。
今は、最後を見届けようとする観光客でいっぱいだそうです。
せめて、少しでも将来に記録を残せればと思い、再び記事にしてみました。
厳冬の余部鉄橋(2008年2月の旅行記)
http://ameblo.jp/delphi3615/entry-10143847598.html
余部鉄橋最後の勇姿(2010年1月の旅行記)