厳冬の余部鉄橋(1) | はい、タケコプター

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備忘録としての日記です。よろしかったらご覧下さい。

16日に再来年に掛け替えで姿を消すJR山陰本線の余部鉄橋を見に行ってきました。


たんば

京都から城崎温泉まで特急「たんば」で。この日は「たんば」と一緒に走る「まいづる」が倒木のため京都まで来られず、「たんば」のみで運転。途中の綾部まで自由席はかなりの混雑でした。指定をとっておいて正解でした



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城崎温泉には5分延着



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ここから浜坂行きのローカル列車に乗り換え。



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大粒の雪が間断なく降り続いています。この雪で本当に列車は走るのかと、少々心配になります。 遅れていた大阪からの特急「北近畿」との接続を待って、出発。約5分遅れでした。



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山陰本線は山間を縫うように走りますが、時折日本海の荒々しい姿が見えます。

やはり荒れ模様です。 いかにも重そうな走りのディーゼルカーに乗ること45分ほど。



鎧駅を出てトンネルに入ると「窓から顔や手を出さないで下さい」のアナウンス。

やはりそう言う人がいるのか...とは思ったんですが、今日のような荒れ模様の日に窓を開ける物好きはさすがにいないようです。

トンネルを出ると、余部の漁港と集落が眼下に広がります。


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この大雪の中鉄橋を見に来ること自体変わり者じゃないかと思っていたんですが...

意外にも2~30人ほどが餘部駅で下車しました。



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撮影ポイントへの案内があります。



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この雪だというのに10人ほどがカメラを構えています。



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上って撮影。

この撮影ポイントは架替工事の進行に伴って、今年の4月6日まででなくなることになっています。

あと1ヶ月半です。

しかし、木から積もった雪がバサバサと落ちてきてとても長居する気にはなれません。

余部の集落に降りてみることにします。



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事前にいろんな方のブログやサイトを拝見して、駅と集落をつなぐ道が険しいとのことでしたので、普通の靴にもつけられる雪道用スパイクを登山用品の店で買って持ってきました。



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人通りが多いため、木の陰になるところは踏み固められて滑りやすくなっていました。

スパイクをつけていても少々滑るのでゆっくりゆっくり慎重に降りてゆきます。



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幅1m程度のつづら折りの道を降りていき中腹の鉄橋下で一枚。

この場所も工事のため今月いっぱいで立ち入りが出来なくなってしまいます。


3月以降の新しい通路は鉄橋下を通らず、踏切を渡る形になります。

やはり、今月中に来たのは正解だったんでしょう。



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一番下まで降りてきました。現在は橋脚の下に仮設の通路が用意されています。

あたりには小型の重機や工事用の囲いがあり、工事が進行している様子がうかがえます。


今のところ地上に新橋の構造物は見あたりませんが、今年の夏頃には橋脚が立ちはじめるようです。



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集落の広い道路には消雪パイプが入っていて雪がありません。

南側から雪の中の鉄橋を一枚。



国道に出て再び鉄橋の袂まで来ると、観音像があります。


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昭和61年12月28日、香住から浜坂へ回送中の列車が強風に煽られて、約41mの鉄橋上から転落。

列車の直撃を受け犠牲者を出した水産加工場の跡地に建立されています。



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観音像の傍らには、観音像についての説明書きがあり、箱の中には事故について記した文献や、事故当時に撮影された写真などの貴重な資料が収められています。



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鉄橋から転落した車両がクレーンで動かされる様子を伝える写真。



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香美町が設置した案内看板や列車の通過時刻の案内もあります。

餘部鉄橋の掛け替えでこの地を訪れる人が増えている中、地元の人が伝えたいのはこの鉄橋のノスタルジーだけでなく、こうした負の部分の歴史もあるのでしょう。


鉄橋と地元の人々の微妙な関係の一端を垣間見たような気がしました。



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雪はますます勢いを強めるばかり。

持っている傘がすぐに重くなり、頻繁に雪を振り払います。


民家の軒の間から見た鉄橋。

雪に煙る鉄橋が見られるのはあと何度あることでしょうか。



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再び駅に上がると、浜坂から来た大阪行きの特急「はまかぜ4号」が鉄橋を渡っていきました。



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雪の激しく降る中、浜坂行きの普通列車がやってきました。

先ほど乗ってきた列車は4両でしたが、今度は2両。


10人ほどが乗り込み、餘部駅を発車しました。