奉仕が嫌いだった。何より嫌いだった。

知らない人の家を、ブロックを囲むように1件1件、全部のインターホンを押さないといけないのが、苦痛で仕方なかった。

でも拒否するという選択肢はなかった。

それが信仰の証だったから。

その証を行わないというのは、神を愛してないからで、それは信者としてあるまじき行動だった。

自分の信じる神について、すべての人に証言することを求められていた。

子どもであろうが大人であろうが、それは信者の義務だった。

そして相手は、どんな人に対しても、だった。

神の前ではすべての人が平等だから、真の宗教を知る権利は全人類にあるから、だった。

知らない人だけでなく、学校の同級生の家に行くことも同様に求められたが、それが一番嫌だった。

小学生や中学生の頃、本当に、心の底からそれが嫌だった。

でも、やりたくないという意思表示はできなかった。

というより、意思表示なんて、させてもらえなかった。

どれほど苦痛だったかというと、組織を離れてからようやく20年経ったつい最近まで、嫌々ながらそれをしている夢を見るほどだったのだ。

ある意味トラウマの見本のような育ち方だと思う。

嫌で嫌で仕方ないのに、逃げられずにそこにいるしかない、夢の中ですら追いつめられる。

見知らぬインターホンを押したくないし、そこから逃げ出したいと思っているのに、その状況を逃れることができない、毎日そんな夢だった。

どうやっても逃げ出すことのできなかったあの頃に比べたら、その後の人生の辛いことは大抵耐えられた。

あんなに辛かった子ども時代に比べたら、仕事でどれほどプレッシャーをかけられ予算に追い詰められ売上を求められても、あの頃よりははるかにマシだと思えた。

たまたまパートをしていた流れで、正社員登用されて管理職にまで昇格した会社は、国民的企業と言っても過言ではない、日本で知らない人はいないほどの大きな会社で、仕事で求められるレベルは冗談じゃなくえげつなかったけれど、私にとっては子どもの頃のあの苦しみや辛さに比べたら、続けるか辞めるかを自分の意思で選択できるだけ、マシだった。

ただそれだけのことなのに、凄まじい精神力を持っているように思われることがよくある。

鈍感なのではなく、むしろ敏感な方なのだが、忍耐力は確かに、人よりあるかもしれない。

それがこの育ちのせいなのだとしたら、あまりにも矛盾しすぎて、むしろ笑える。