あれほど、『あなたは今のこの世界では結婚しない』と言い続けてきた母が、『早く孫が見たい』と言った時には愕然とした。


私が二十歳になる前にこの世界は滅びるから、それまでに結婚することなんか絶対にないから、と言われ続けて育ったのに、『結婚なんか誰でもできるのよ。あなたが孫を産んでくれたら、あなたたちで失敗した子育てをやり直したいの』と宣われた日には、全身で(ふざけんな!)と怒鳴りつけたい気持ちに蓋をして、ただ能面のような顔で、『私が結婚するよりハルマゲドンの方が先って言ってたやん』て言うと、『そうかもしれないけど、別に結婚はしたっていいんじゃない?』と。

あまりにも無責任なモノの言い方に、私は深く傷付いた。

そう、深く傷付いたのだ。


傷付いたと同時に、私を襲った恐怖は、これほどまでに無神経な母親の血を、自分がひいているという事だった。


実の娘をこれほど傷付けている事に気付きもしないほどの無神経な人の遺伝子を、自分が継いでいるという恐怖だった。


どれほど私も誰かを傷付けているのだろうかと。


そう考えると、できるだけ他人と関わりを持たないようにしようと決めたのだった。


しかも私たちは、母親にとっては子育ての失敗作だったらしいということも、その時に知った。


どうがんばっても、自己肯定感など持つことなど不可能な環境だった。


私がHSPであることを当然理解していない親は、ただ考え過ぎで被害妄想のひどい性格だとひたすら否定し続け、『お前は過敏過ぎる。なんで?って聞くな。考えるな。考え過ぎだ。』とずっと言われ続けてきた。


確かにそういう部分もあったかもしれない。


だからこそ、人より少し敏感過ぎる我が子を、守らなければならないという思いは、うちの両親にはカケラもなかったらしい。


あくまで私個人の主観には過ぎないが、両親は、自分の子どもを守る方法を、知らなかったんだと思う。


そして自分の子どもが、どれほど傷だらけになっていても、まったく見えていなかったんだと思う。