転職して3カ月が経過した。

  4月当初は初めて行う郵便のお仕事にとても手間取った。そして同じ仕事をする47歳位のN野下したという男が、係長が見えないところで威張るし、乱暴な物言いをする。

  6月からまた違う仕事が増えた供用車両の予約貸出業務。T村という54歳のとても肥えたおばさんとの二人きりでの仕事。中学時代はヤンキーだったそうで今もその貫禄は十分。そのT村の威圧的な態度がとても辛い。気を遣わないとドスの利いた返事したしてこない。

  とても辛くて人事企画担当課長の旧帝大卒の課長のYに相談するも、私が仕事に集中していないだか、仕事していない、T村に話した事が悪いと言われる。

  転職して非常に後悔。しかしもう後には引けない。

(日)私がある病気になって約14年。
平成16年の10月1日だっただろうか・・・
店長が信頼できるKさんから
中古車部長だった当時の三浦という奴が、
異動になって車両業務部長から左遷でやってきてからだ。
 
私が経費をある中古車の原価に割り当てる仕訳を起こした。
仕訳伝票が有って、支店と本社経理部の決裁印はおりたのに、
月初になって、貯蔵品という仮勘定の勘定科目が有って、
毎回数枚の伝票分の金額の貸借が合わないの無いで有る。
三浦が判を押さないので、毎回帳簿が合わないのだ。
自分の部署の原価が上がると困るので嫌がらせで止められる。
三浦によくやられたものだ。
 
この三浦が役員になってそして常務のまま
左遷で支店長としてやってきてから私の闘病生活が始まるのである。
 
自分を認める・・・多分これが出来ていたら
今の私は存在しなかった・・・過去は戻せないのだから・・・
で、私は知人のこの作文を読んだとき、
感動を覚えた。
 
 
 
【 努力賞 】
【テーマ:仕事を通じて実現したい夢】
自分を認めること
  25歳

私の仕事は、ごぼう茶を作ることです。体調を見ながら、無理をせず週に3、4回ほど通っています。勤務時間も短く、一日3時間ほどしか働いていません。乾燥ごぼうをひたすら焙煎する作業は、単調でつまらなく感じる時もありますが、今の私にはとても合っていると思っています。うまくごぼうに色が入った時は密かな達成感があります。

 しかし、十代の頃の自分に「今はこんな生き方をしているよ」と伝えたら、きっと絶望するでしょう。必死に勉強して、周りに置いて行かれないように常に気を張って、とにかく「みんなと同じようにしなくちゃ」と焦っていました。就職して、バリバリお金を稼いで、自立する。様々な困難に打ち勝って、人として今の自分の何倍も成長しなくては。このような考えに囚われていました。そして、そうできなければ、生きている意味などないと思っていました。

 『こうならなければいけない』という理想像はありましたが、現実の自分は全く木偶の坊です。次第に、生きること自体がよくわからなくなってきました。人と合わせようとすると、身体が軋むようでした。みんなと同じようにしなくちゃと思えば思うほど、息苦しくなっていきました。

 そんな中、高校生の時に演劇部に入り、のめり込みました。大学に入学してからも演劇中心の生活を送っていました。理想の自分になれないという苦痛は相変わらずつきまといましたが、演劇をしている時は、一瞬自由になれた気がしました。

しかし、大学を卒業する頃に身体を壊し、大好きな演劇を諦めました。就職もできず、地元に帰ってきた私は、もぬけの殻になっていました。食べること、眠ることも難しくなりました。しばらくは外出が恐怖で家にひきこもっていましたが、このままではいけないと、いくつかのアルバイトに挑戦しました。が、どれも続きません。人と視線を合わせること、挨拶すること、このような社会人として当然のことが、怖くて怖くてたまりません。自分が大嫌いで、責めてばかりいました。

 しかし今現在、そんな自分が少しずつ変化しています。人との出会いによって、ほんの少しずつですが、確実に変わってきていると思います。地元に帰ってきてから、私と同じような思いをしている人にたくさん出会いました。その方々には色々な価値観や経験がありました。そして、私を認めてくれる人が意外といました。世間的には、私はとてもダメな人間かもしれないけど、もしかしたらいいところもあるのかしれない、世の中にいてもいいのかもしれない。こんな風に少しだけ思えるようになりました。

 十代の頃の、たくさん勉強していい仕事をして、みんなに誇れるようなかっこいい大人になりたい、という夢は叶いませんでした。私は愚鈍で臆病です。そして、これから先こんなことをやり遂げたい、という立派な夢や目標もありません。ただ、今のごぼう茶の仕事を続けて、徐々に働く時間を増やしたい、という地道な目標はあります。

 将来のことは何もわかりません。今、バリバリ稼ぐ、という働き方にはほど遠いので、果たして老後は大丈夫なのか。そもそも、また仕事を辞めてしまうのではないか。そんな不安は尽きません。もちろん、自立して一人で生活を賄えるようになりたい、というのは理想です。しかし今は焦らず、自分のペースで働こうと思います。毎日おいしくご飯が食べられて、夜はぐっすり眠ることができて、笑い合える相手がいれば、とりあえずは良しとします。この生活を続けることが、私の今の夢です。

(日) 

 

平成30年5月13日(日) と、ときの日付のある

用紙が社協から郵送され

温泉ボランティアに参加してきた。

 

風邪をこじらせていたので正直参加を辞退したかったが、

何とか堪えて、駐車場所が判然としないので早めに行ってきた。

車を走らせて、集合場所のK治療院の隣の空き地に駐車。

外に出るっと、どうも駐車場所がスナック?の駐車場・・・

前置きが長くなった。

 

ガイドヘルプで、健常者にアイマスクをさせて、

手引きをした事は有ったが、

全盲の人を相手にするのは初めてであった。

 

バスから降りて温泉についてから、

私が二人の男性の入浴と食事の介助というか

一緒に行動して目が見えないから

私が腕や口を使って、

見えたらこうだろうというのを私なりに行った。

 

初めての体験で有ったが、非常に貴重な体験であった。

 

 

 

 

 

(水)今日は用事も有って休むことにした。

さて先日大丸のカステラを食べたのだが、

どうも美味しくない。

まずい・・・2300円も払ったのに。

矢張り福砂屋のカステラを食べてから

カステラ=福砂屋に成ってしまった。

 

(火) 今日は特に変わったタイプの人間が1人追加され、二人になった。

数日ぶりの平和な日々が侵された訳だ。

 

さて、タイトルにした通り、記憶力が殊に最近は低下しているので、日記替わりというブログを立ち上げた。

毎回、この手のものは、上手に出来た試しがないが、取り敢えずやっていこうと思う。

 

平成29年9月26日